
ソク・チュミョン(石宙明)(1908-1950)という昆虫学者をご存じだろうか。
朝鮮半島のチョウの分布を詳細に調べた著書を残し、韓国では絵本や教科書の題材にもなった著名人だ。
“韓国のファーブル”とも呼ばれるソクだが、生涯をかけて集めた昆虫標本は朝鮮戦争の空襲で焼け、本人も戦争の混乱の中で死亡したため、ほぼすべて失われたものと考えられていた。
しかし、死後70年余りの時を経た去年、その一部が日本の九州大学に保管されていたことが明らかになった。
なぜ、ソクの標本は日本に残されていたのか。そこには、科学の絆で結ばれた日韓の昆虫学者たちの100年にわたる物語があった。
(科学・文化部記者 山内洋平)
おはよう日本 3月16日放送
NHKプラス 配信期限:3月23(日) 午前7:40 まで
日本の恩師が生んだ韓国のファーブル

ソク・チュミョンは1908年10月、ピョンヤンで生まれた。
その2年後、日本は韓国を併合。
ソクは日本の植民地支配下で育った。
当時、学校で学べる人は限られていたが、家が富裕だったソクは地元の学校を卒業後、1926年に日本の鹿児島高等農林学校、現在の鹿児島大学農学部の前身で学ぶ。
ここでのある出会いが、ソクが昆虫学者の道を歩み出すきっかけになる。

この学校で昆虫学を教えていた岡島銀次教授。
農業を学ぶために留学したソクだったが、講義を受けるうちに次第に生物の研究に興味を抱くようになった。卒業論文のテーマに選んだのはリンゴの木につく害虫、「リンゴドクガ」だった。

何百もの標本を丁寧に紙で包み、正確に採集記録を書いていたソクの姿に昆虫分類学の才能を見いだした岡島。1929年の卒業の際に「朝鮮人として朝鮮半島のチョウの研究に着手すべきだ、10年間必死にやってみよ」と勧めたことが、ソクが昆虫学者を目指すきっかけになったという。
ソクの著作や論文などの文献をもとに伝記を書いた、韓国・チェジュ(済州)大学のユン・ヨンテク名誉教授は、岡島は朝鮮半島に生まれたソクこそ現地の昆虫を研究すべきだと考えていたと推測している。

チェジュ大学 ユン・ヨンテク名誉教授
「当時、朝鮮半島のチョウの分類は主に日本人やヨーロッパの研究者によって行われていて、現地の研究者はまだいませんでした。チョウの分類には数多くの標本を集める必要があるため、岡島先生は朝鮮半島のチョウの研究は日本人よりもソクのような人のほうが正確に行えると考えたのだと思います」

卒業後、朝鮮半島に戻ったソクは、中学校の教師を務めるかたわらで何十万匹ものチョウを採集して詳細な観察と分析を行い、研究成果を日本の学会などで発表した。
そして岡島との約束である「10年」を迎えた1939年、研究の集大成となる英文の大著「朝鮮産蝶類総目録」を完成させ、イギリスの学術団体「王立アジア協会」から出版する。
植民地支配下の朝鮮半島の出身者が科学的な成果を国際的に発表するのは異例のことだったという。

ソクの成果は当時としては画期的なものだった。
膨大な数の標本に基づく分析と、最新の分類学の知見に基づいて朝鮮半島のチョウをおよそ250種に整理。国際的にも高い評価を得た。
この本の序文で、ソクは岡島に対して「常日頃から温かい励ましと貴重なご助言をいただいた」などと感謝をつづっている。

またソクは、当時新種として発表した2種のチョウに、岡島銀次にちなんだ「オカジマミスジ」「ギンジシジミ」という和名をつけている。分類学の世界で「献名」と呼ばれる習慣だが、岡島を恩師として慕っていたことがうかがえるエピソードだ。
戦時下も研究続けた“韓国のファーブル”

出版からほどなく日本は太平洋戦争へと向かっていく。
1943年、チェジュ島(済州島)に京城帝国大学の研究施設が開設されると、ソクは所長に就任。このころは昆虫だけでなく、チェジュ島固有の方言や自然、文化についても研究していたという。

1945年、日本が敗戦し、朝鮮半島は植民地支配から解放される。
ソクはソウルにあった国立科学博物館の動物学研究部長に就任し、朝鮮半島のチョウの分布を網羅した本を出版するため研究を続けていた。ところが、もう1つの戦争がソクの人生に暗雲をもたらす。

1950年、朝鮮戦争が勃発。ソクが勤務していた博物館は標本とともに空襲で焼けてしまった。標本を守ろうとソウルに残っていたソクも、動乱の中で何らかのトラブルに巻き込まれて命を落とした。41歳だった。
死亡した原因について確実な記録はないが、ユン名誉教授によると「ピョンヤン出身のソクには朝鮮半島北部の方言があったため、北朝鮮の軍人と間違われて殺されたというのが通説」と説明する。
遺稿は、ソクの理解者だった妹によって守られ、後年「韓国産蝶類分布図」として出版された。
里帰りしたチョウの標本

ソクはその生涯でおよそ75万匹の昆虫標本を集めたといわれている。遺品として残された装飾用のチョウの額を除き、そのすべてはこの時までに失われたと考えられてきた。
ところが、日韓の研究者たちが合同で九州大学の標本室を調査したところ、所蔵されていた戦前の朝鮮半島の標本の中に、ソク・チュミョンの名前が書かれた昆虫標本が見つかったのだ。
韓国側の調査チームの代表、アン・ヌンホさんは「最初は何かの間違いではないか」と驚いたという。

韓国 国立生物資源館 アン・ヌンホさん
「ソク・チュミョン先生の名前を見つけてすごく驚きました。先生は人生をチョウにささげたとも言われるドラマチックな生き方をした研究者で、その標本というだけで価値があるものですが、生物の標本は時をさかのぼって採集することはできないので、すごく大事なものです」

九州大学で見つかったのは、朝鮮半島では北朝鮮にしか分布しないベニヒカゲの仲間や、生息域が狭まって個体数が減少しているとされるシータテハなどの標本35種129点。いずれも100年近く前に採集されたものだ。
アンさんが勤める韓国の国立生物資源館には100万点の昆虫標本のコレクションがあるが、戦前の朝鮮半島の昆虫標本はほとんど残っておらず、ソクの標本は朝鮮半島全体の昆虫相を知るうえで極めて貴重な標本だという。
九州大学は見つかった標本を韓国に移管することを決め、去年、ソクの標本は国立生物資源館に里帰りを果たした。

チェジュ大学 ユン・ヨンテク名誉教授
「ソク・チュミョン先生は韓国最高の昆虫学者であり、韓国人が最も愛する科学者です。韓国の昆虫学者にとって見つかった標本は先生の分身であり、戻ってきたことは私にとって、まるで彼が生き返ったようにうれしい」
標本の里帰りは韓国で大きなニュースとなり、国立生物資源館ではソクの標本や功績などを紹介する展示会も開かれた。

展示会を訪れた小学生
「ソク・チュミョン先生は小学校の教科書に出ていたのを覚えています。90年間も保管されていたのが不思議です。先生のことをもっと知りたい」
子どもと訪れた30代の男性
「文化遺産が故郷に帰ってきたことはよいことだと思います。大切に保管してくれたことに対して感謝しています」
日本で発見 背景に日本人の研究者
ではなぜ、ソクの標本が日本に残っていたのだろうか。
その手がかりは標本が失われる朝鮮戦争からさかのぼること14年前の出来事にあった。
アンさんによると、ソクは朝鮮半島に戻ってからも日本の昆虫学者たちと親しく交流していたという。

中でも、交流が深かったとされるのが九州大学の教授で昆虫学の大家だった江崎悌三だ。
ソクは江崎から研究についてのアドバイスを受けていた。
韓国 国立生物資源館 アン・ヌンホさん
「ソク・チュミョン先生が残した論文のなかに朝鮮産のモンシロチョウの論文があり、論文のなかにも江崎悌三が出てきます。1936年10月28日、福岡市にある江崎の自宅で2時間、チョウの分類について議論したという記録も残されています」
同じ論文の記述から、2人の交流はソクが書いた論文に対して江崎が手紙を送ったことがきっかけで始まったことがうかがえる。

また、江崎が教授を務めていた九州大学の昆虫学教室に残されている来訪者の記録にも、同じ日付で「石宙明」の署名が見つかった。

さらに、標本のラベルには「石宙明氏寄贈」とも記されていた。
こうした記録から、今回見つかった標本は「ソクが江崎悌三ら日本の昆虫学者に寄贈したもの」とアンさんは推測している。
“真理の追究”で結びついた昆虫学者たち
チェジュ大学のユン名誉教授は、困難な時代にありながらソクと2人の日本人を深く結びつけていたのは、昆虫を通じて自然の真なる姿を明らかにしたいという”科学的な真理の追究”だったと考えている。

チェジュ大学 ユン・ヨンテク名誉教授
「現在の両国の政治的な距離について、韓国では日本のことを『近くて遠い国』と呼びます。しかしながら100年前、真理を追究する昆虫学者の学問的な交流があったことは事実です。今回の標本の帰還は、学問的また文化的交流を続けてきた韓国と日本の昆虫学者たちの努力のおかげだと思っています」
受け継がれる”学問の絆”
ソクたちから始まった昆虫学者どうしの絆は、100年を経たいまも受け継がれている。

ソクの標本の調査で日本側の代表を務めた九州大学の広渡俊哉特任教授。
研究室を訪ねると、20年余り前に撮影された1枚の写真を見せてくれた。
写真に写っているのは、当時大阪府立大学の教員だった広渡さんと、韓国のアンさん。
当時、アンさんは留学生として広渡さんの指導を受けていたという。

2人とも、小さなガの仲間を専門に研究しており、調査のために日本各地に一緒に出かけて新たな発見をしたこともある。
九州大学 広渡俊哉特任教授
「彼が最初に来た留学生で、つきあいはこのときから20年以上になります。標本は韓国にあったほうがいいと私も思ったので、九州大学で保管する方法もありましたが、移管することを選びました」
石宙明の標本 DNA分析で環境評価にも
今回見つかった100年近く前の標本には、歴史的な価値だけでなく、科学的な価値もある。
標本とはある生物がいつ、どこに、どのような状態で生息したかの証拠となるものだ。
広渡特任教授によると、古い標本からその生物についての新たな事実が分かることもあるという。

例えば今回見つかった標本の1つ、ヒメシジミ。
日本では北海道や中部の山岳地帯、中国地方に分布する小型のチョウだが、韓国ではチェジュ島にあるハルラ山(漢拏山)の山頂付近にしか生息しない希少種だ。
気候変動によって生息域が狭まり、絶滅のおそれも指摘されている。

標本からDNAを抽出して解析し、現在の個体とソクが収集した個体を比較することができれば、およそ100年間に起きた温暖化などの環境変化の影響を評価して保全活動に役立てることなどが期待できるという。
今回の標本の調査がきっかけで、新たに共同研究も始まった。
広渡さんの研究室の博士課程1年の大学院生、パク・チニョン(朴鎮亨)さんも研究に参加する1人だ。

日本で生まれ育ったパクさんは、日本と韓国の共同研究によって両国の昆虫の特徴や起源をより深く理解できるはずだと考えている。
九州大学 パク・チニョンさん
「昆虫は国境を超えて分布しているものなので、国や人間が作った国境の内側だけで研究をしていても分からないことばかりです。両国の若手の研究者たちと交流しながら、いろんな論文を書いていきたい」
おはよう日本 3月16日放送
NHKプラス配信期限 :3月23日(日) 午前7:40 まで
日韓昆虫学者たちの交流 100年の物語

科学・文化部記者
山内洋平
2011年入局
佐賀局を振り出しに青森局
札幌局を経て科学文化部
