返還された西村さんの遺骨(右)。奥は遺影
太平洋戦争後、旧ソ連によってシベリアに抑留され、21歳で死亡した東脊振村(現佐賀県吉野ヶ里町)出身の旧陸軍伍長、西村
寿弥男(すやお)
さんの遺骨が3日、吉野ヶ里町に住むおいの正紘さん(83)に引き渡された。正紘さんは「ずっと待っていた。『お帰りなさい』と声をかけたい」と、時折声を詰まらせながら約80年ぶりの“帰郷”を喜んだ。(森永健太)
正紘さんらによると、西村さんは6人きょうだいの末っ子で、地元で代用教員などをしていたが、1944年に20歳で出征し、歩兵第267連隊などに所属。終戦後、シベリアに抑留され、45年12月に戦病死したが、遺骨が戻ることはなかった。 今回届けられた遺骨は、厚生労働省が2002年7~8月にロシア・イルクーツク州の「第7収容所第1小病院」埋葬地から収容した342柱のうちの1柱。厚労省は希望する遺族を対象にDNA鑑定を行って身元の特定を進めており、鑑定の結果、今年4月に西村さんのものと判明した。
県の担当者から遺骨を受け取る正紘さん(右)
この日、県社会福祉課の担当者が、西村さんの実家である正紘さんの自宅を訪れ、その遺骨を手渡した。正紘さんは「(西村さんは)とても喜んでいると思う。大変ありがたい」と感謝を述べた後、集まった親族らで線香をあげ、改めて
冥福(めいふく)
を祈った。
正紘さん自身は西村さんとの記憶はないが、正紘さんの父や祖母らが、陰膳をこしらえてその無事を祈ったり、裏口の鍵を閉めずに帰りを待ち続けたりしていたという。出征前に書いていた西村さんの日記で、幼い正紘さんの子守をしていた記述を読み聞かせてもらったこともあり、思いをはせることもあったという。 正紘さんは「父や祖母にもゆっくりと報告したい」と感極まった様子で話した。 遺骨は、今月下旬に正紘さんの両親らが眠る墓に納骨する予定という。「我が家へ生きて帰りたかったんだと思う。冬場は寒く、食べるものも満足になかっただろう。戦争がもたらすものは悲劇だ」。正紘さんは遺骨を前にそう語った。
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