43人が犠牲になった長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から33年の時が過ぎた。惨事を知らない世代が徐々に増える中、全国から差し伸べられた支援の輪と、復興に向けて立ち上がった人々の記憶を語り継ごうという努力は、今も連綿と続いている。(小川紀之)「駆けつけたい」 「あの時の島原もこうだったのか」。噴火災害の被災地となった島原市の市民協働課で働く内田魁人さん(28)は今年1月7日、能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市で息をのんだ。 崩壊した道路が渋滞を引き起こし、倒壊した家屋では安否不明者らの捜索が続いていた。人々が身を寄せた避難所では、収集もままならないゴミ袋が山積みとなり、被災地の苦境を肌で感じ取った。 内田さんは大火砕流から4年後に生まれた。噴火災害の歴史は子どもの頃から学んできたものの、写真や講話の中でしか知ることができない出来事だった。 能登半島地震が起きた後、水洗トイレ2基を備えた「トイレカー」を運転し、断水が長期化する避難所に届けた。目にしたのは、自分たちと同様に全国から集まった応援職員らの姿だ。「島原も全国から支援を受けていたんだ」と想像を巡らせ、内田さんは思いを強くした。「助けが必要なところには、これからも駆けつけたい」
災害に備える決意を語る島原市長の古川隆三郎さん(3日午前8時41分、長崎県島原市で)=秋月正樹撮影若手を派遣
「大変なことが起きているのに、どうしたらいいのかわからない――。あの時の感覚がよみがえった」 地震の報に接し、島原市長の古川隆三郎さん(67)は思い起こしていた。33年前は消防団員として小学校で避難所運営を担当したが、押し寄せる避難者を前に立ち尽くすばかり。大雨で崩れてきた土石流から湯気が立ち上る異様な光景に言葉を失うこともあった。 1 2
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