17年前、1冊の本が大ブームを巻き起こした。タイトルは「ホームレス中学生」。お笑いコンビ「
麒麟(きりん)
」の田村裕さん(44)が自身の
壮絶(そうぜつ)
な生い立ちをコミカルにつづったものだ。激動の10代を改めて振り返ってもらった。(読売中高生新聞編集室 浜田喜将)

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お笑いコンビ「麒麟」の田村裕さん(4月19日、東京都新宿区で)お笑いコンビ「麒麟」の田村裕さん(4月19日、東京都新宿区で)

父が言った「解散!」 「中学2年生の1学期が終わった日でした。自宅に帰ると、なぜかタンスなどの家具が家の外に出されていたんです。5歳上のお兄ちゃんと4歳上のお姉ちゃんも帰ってきて、3人とも状況がのみ込めずにいると、そのあと帰ってきたお父さんがめちゃくちゃなことを言い出します。 『ご覧の通り、家には入れなくなりました。厳しいとは思いますが、これからはおのおの頑張って生きてください。解散!』。…って全く意味がわからないですよね(笑)。でも、お父さんはそう言うと、本当にどこかに去ってしまいました。残された3人でこれからどうするか話し合いましたが、僕はお兄ちゃんとお姉ちゃんに迷惑をかけたくなくて、『1人で大丈夫やから』と言って2人と別れました」
 
13歳で突然、家族が“解散”した田村さん。その日からホームレス生活が始まる。
 「家の近くにあった通称『まきふん公園』が僕の住み家になりました。巻き貝をモチーフにした特徴的な
滑(すべ)
り台があって、その中で雨風をしのぎました。真夏で暑かったり、背中が痛かったりで、寝つけない夜もありました。飲み物は公園の水道や図書館の冷水機でしのげましたが、問題は空腹。生きるためには食っていかないといけないので、公園の雑草や段ボールを水でぬらして柔らかくして食べたこともあります。どうしても耐えられないときは、お兄ちゃんが働いていたコンビニへ行って、廃棄するパンなどをもらってました。

 
暇(ひま)
なときは、常に落ちているお金を探し歩いてました。たまたま、かなりの高確率で
小銭(こぜに)
が落ちている自動販売機が並んだ場所を見つけて、僕はそこを勝手に『宝島』と呼んでました。余談ですが、数年前に番組のロケで宝島に行ったら、その時も10円玉が落ちてました。さすがに
拾(ひろ)
わなかったですけど…。読者のみなさんは、お金を拾ったらちゃんと交番に届けましょうね(笑)」
助けてくれた友だち、ヤバかった「風呂」
 
ホームレス生活も数週間が過ぎたある日、偶然出会ったクラスメートと、その家族に救われる。田村さんが暮らしていた「まきふん公園」の滑り台(2009年4月撮影)田村さんが暮らしていた「まきふん公園」の滑り台(2009年4月撮影)
 「いつものようにお金を探しているとき、偶然、同じクラスの男友だちと出くわしました。中学2年で同じクラスになって、一番仲良くしてた子なんですが、事情を話すと、『ほな、家おいでや』と誘ってくれたんです。元々、『ほっとかれへん』という理由で捨て猫を7、8匹飼っている
慈悲(じひ)
深い一家で、僕の面倒も見てくれることになりました。
 温かい食事やふとんもうれしかったけど、特に覚えているのは、久しぶりに入ったお風呂。あれはマジで気持ちよすぎて、ヤバかったですね。あとで聞いた話ですが、彼の両親は当初、僕を養子として迎え入れようとしてくれていたそうです。そこまでの覚悟を持って受け入れてくれたと知ったときは感動しましたね」 ホームレス生活を脱却した田村さん。友だち一家の“神対応”は、想像のさらに上を行くものだった。
 「一家の両親だけでなく、近所の人たちも僕らきょうだいのことを心配してくれて、3人で一緒に暮らせるように手配してくれたんです。その頃、お兄ちゃんとお姉ちゃんも公園で寝たり、
親戚(しんせき)
の家にお世話になったりしていたようです。
 一家のお母さんが中心になってアパートを借りてくれ、生活保護まで受けられるようにしてくれました。おかげで僕は、夏休み明けから学校にも普通に通えました。貧しい生活に変わりはなかったけど、きょうだいと安心して過ごせる空間があるだけで幸せでした。このときに本物の優しさに触れたことで、自分も大人になったら、できる限り困っている人を助けたいと思うようになりました」(つづく。次は「無気力」編)