各国で刊行された『変身』が並ぶ展示室(16日、東京都新宿区の早稲田大で)各国で刊行された『変身』が並ぶ展示室(16日、東京都新宿区の早稲田大で) 『変身』などで知られる作家、フランツ・カフカが6月3日で没後100年を迎える。短編を集めた文庫新刊や関連書が刊行されたほか、日本での受容の歴史を振り返る企画展が開催されている。異常な事態に直面した人間を淡々と描くような物語は、人間存在の不条理を浮き彫りにする。(文化部 池田創、真崎隆文)

関連書刊行や企画展開催 <ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した>(高橋義孝訳、新潮文庫)
 第1次世界大戦の最中の1915年に出版された『変身』は、主人公のザムザが人間以外の何物かに
変貌(へんぼう)
する。その謎は究明されず、ありふれた日常が過ぎていく。他者との関係の中で、人間が抱える孤独と不安を感じさせる。
 早稲田大国際文学館で開催中の企画展(9月16日まで)では、『変身』を中心に据え、日本語訳の変遷や受容史を解説する。
 ザムザが変身した姿について、国内では高橋義孝訳の「
毒蟲(どくむし)
」が定着し、69年の改訳で「虫」となった。2015年の多和田葉子さん訳の集英社文庫版は「ウンゲツィーファー(生け
贄(にえ)
にできないほど汚れた動物
或(ある)
いは虫)」と原語をカタカナにして、原語の意味を書き添えた。
 日本では1922年に独文学者の片山孤村が『現代の独逸文化及文芸』で表現主義の新人作家として紹介し注目されたという。担当学芸員は「中島敦や安部公房など多くの日本の作家に影響を与えている」と話す。◇『決定版カフカ短編集』『決定版カフカ短編集』 新潮社は、全集から短編を厳選して収録した『決定版カフカ短編集』(新潮文庫)を刊行した。父親との対立を描く「判決」、特別な拷問機械についての士官の告白「流刑地にて」など15編を収めた。29日にはノートなどに書き残された言葉の断片を収めた頭木弘樹編訳『カフカ断片集』(同)も刊行する。『あなたの迷宮のなかへ』『あなたの迷宮のなかへ』 フランスの作家、マリ=フィリップ・ジョンシュレーさんの『あなたの迷宮のなかへ』(村松潔訳、新潮社)は、カフカとおびただしい数の手紙をやり取りしたミレナという女性を語り手に据えた書簡体小説だ。ミレナからカフカへの未発見の手紙を想像力豊かに書き起こすことを試みた。他者に対して深い情愛を持った作家像が浮かび上がる。 日本語訳刊行に際し来日したジョンシュレーさんは「ファシストが台頭する今、カフカが当時感じたものと同じ不安が世界に漂っている。彼が残した作品は『よりよく生きるために書く』という姿勢を思い起こさせてくれる」と語った。◇『哲学者カフカ入門講義』『哲学者カフカ入門講義』 仲正昌樹・金沢大教授は、『哲学者カフカ入門講義』(作品社)を刊行した。カフカ作品を〈「公/私」の境界線が重要な意味を持っている〉と読み直す。 特徴的な作品として、長編『審判』を挙げる。銀行員のKが見知らぬ監視人の訪問を受け、身に覚えのない審理に巻き込まれる物語だ。社会的地位を築くKや周囲のプライバシーは審理の過程で侵されていく。私的な領域がさらされ、公私で使い分けてきた人格的なバランスが崩れる世界は、現代社会に通じる。 仲正教授は「誰もが意識せずとも、私的な顔と、表に見せる公の顔を使い分けている。ネットの発達で情報が漏れ続ける現代では、プライベートな空間を保つことは難しく、カフカは、公の顔と私的な顔を完全に分離することの限界を予言していたのではないか」と話す。
 ◆
フランツ・カフカ
=1883~1924年。現在のチェコのプラハで、裕福なユダヤ人の商家に生まれる。役所に勤務する傍ら小説を執筆し、40歳の時に結核で亡くなる。第2次世界大戦後、人間の存在などを問う実存主義が盛り上がる中で再発見され、世界的な人気を得た。主な著作に『城』『審判』などがある。
「変身」介護される側の視点…作家・多和田葉子さん 高校生の時にカフカの著作を読み、作家になった後も大きな影響を受けています。拷問にまつわる「流刑地にて」が鮮烈でした。ナチスが台頭する前に亡くなりますが、全体主義が個人の自由を束縛し、抑圧が始まっていく様子を感じ取っていたのだと思います。 現代の視点から『変身』を読むと、主人公のザムザは高齢化社会で家族から介護される存在になった人間と見ることもできます。介護される側から家族を眺め、自分の身体を捉え直している。 カフカの作品を神聖なる文学として真面目に読む人もいるかもしれませんが、元々はユーモアのある作家です。ぞっとした笑いですね。『変身』をはじめとして、書かれていることは、ひとつの映像には還元できないけれど、読者ひとりひとりが鮮烈に情景を思い浮かべることができる。小説が持つ面白さ、読書の楽しさを示してくれます。 数年前にミャンマーを訪れた際、若者たちに人気があり驚きました。没後100年で私が住むドイツも盛り上がっており、私もカフカのフランス語訳者との座談会に出席する予定です。これからも世界中の色んな文化圏で理解されていくでしょう。