京都サンガF.C.のアカデミーからトップチームに昇格するも、2021年末に契約満了。上月壮一郎が選んだのは、ドイツ5部からキャリアをやり直すという異例の道だった。デューレンで結果を残すと、わずか1年でシャルケ04のセカンドチームからトップチームに昇格し、ブンデスリーガで初ゴールも記録。しかし、右足首の大ケガやポーランドでの苦闘を経て、欧州での挑戦に“ある疑問”を抱くようになる。2026年夏、湘南ベルマーレへの加入を決めた理由とは何だったのか。前編では海外での経験を通じて見えてきた課題と、再び成長するために選んだ日本復帰の決断に迫る。
ドイツ5部から始まった、上月壮一郎の逆襲
2021年12月、上月は小学6年からアカデミー時代を含め8年間を過ごした京都を契約満了で退団した。京都との契約が満了となった直後、「プロになる前から海外に行きたい気持ちがあったし、変に国内移籍するのも面倒だから海外に行っちゃおうと思った」と単身ドイツへ渡った。悲壮感を漂わせるわけでもなく、自らの可能性を海外に求めての渡独だった。 しかし、当時トライアウトを受けたブンデスリーガのクラブとの契約が選手登録期間終了までにまとまらず、最終的にドイツ5部・デューレンへ加入することになった。ドイツ5部の環境はプロとはほど遠いものだった。
「昼間は働いて、夕方の6時から練習する選手ばかりでした。目的が『上に行きたい』ではなく、給料がいいからと副業感覚でやっている選手が多かったです。グラウンドもすごく悪かったし、僕が真剣にやったらちょっと怒られたりして(笑)」
日本でプロの環境を知る身としては、受け入れがたい現実も少なくなかった。それでも、当時の上月には整った環境を求める余裕などなかった。同選手は「もう背水の陣でした。モチベーションも何も、サッカーを続ける方法がこれしかなかったから、やるしかなかった」と振り返る。
誰一人自分を知らない異国の地。当然、週末のホームゲームにもほとんど観客は集まらない。京都のアカデミー時代から注目され続け、年代別の日本代表を引っ張ってきた上月にとって、自身を取り巻く環境のギャップに戸惑いを感じたはず。それでも、「誰も僕を知らない土地で、純粋に選手としてしか評価されない。良いプレーをすれば名前を覚えてくれる。その感覚がすごく楽しかったです」と置かれた状況でやりがいを見出した。
環境に言い訳をせず、泥臭く結果を追い求めた上月は、加入初年度にリーグ戦11試合で5ゴール5アシストを記録し、チームを4部昇格へと導いた。確かな手応えを胸に、上月はドイツでの新たな第一歩を踏み出したのだった。
ドイツ5部での躍進は、思わぬ形で次の扉を開く。
ある日、デューレンで別格の活躍を見せていた上月に、チームメイトのアディス・オメルバシッチ(ドイツ6部・FVボン)が「お前はこのチームでやるべきじゃない」と一言。名門シャルケのセカンドチームでプレー経験がある同選手が、当時のシャルケのスカウトに上月を推薦したのだ。スカウトが視察に訪れた試合で上月は2ゴールを叩き出し、一気にステップアップの好機をたぐり寄せた。
「デューレンに入る前から、もっと上のカテゴリーでも行けるという手応えがあった。だからシャルケのセカンドチーム(ドイツ4部)へ入団が決まった時は、『無事に目標を達成できた』という感覚でした」
5万人の夢舞台と「この強度には耐えられない」現実
その後、シャルケのリザーブチームに加入し、ドイツ4部で14試合8ゴール5アシストという圧巻の数字を残した上月は、2022年12月にシャルケのトップチームに昇格。そして2023年1月、アウェイでのフランクフルト戦でついにブンデスリーガデビューを果たした。上月は目標だったブンデスリーガでのデビュー戦を、今も鮮明に覚えている。
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Profile
白谷 遼
2025年度まで縄手猟名義で活動。サッカー専門媒体『エル・ゴラッソ』で東京ヴェルディを担当。これまで日本代表、Jリーグ、大学・高校サッカーなど、プロアマ問わず幅広く活動している。小学校の頃に見たパク・チソン、イ・ヨンピョの活躍に感銘を受けて韓国サッカーにハマった埼玉県民。韓国サッカーに深い造詣があり、興味の守備範囲は広い。
