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建設時の香川県立体育館。モノクロ写真にAIで着色したもの(資料提供:旧香川県立体育館再生委員会、下の2点も同じ)
解体工事が進められていた「旧香川県立体育館」が、保存活用に向けての“最後のチャンス”を迎えています(詳細はこちらの記事を→https://bunganet.tokyo/kagawastop/)。この機に、BUNGA NETでは緊急連載「旧香川県立体育館に思う──アーキテクトボイス50」を行います(発起人:田根剛、佐々木睦朗、北山恒、宮沢洋)。38人目は、この建築について様々な場で発信してきた建築史家の松隈洋氏です。(ここまでBUNGA NET編集部)

戦後81年、戦争を経験した世代が一人もいなくなろうとする時代の中で、私たちは、戦後を生きた人びとの立ち向かった過酷な現実や希求した切実な思いをどれほど共有し、次世代へ伝える努力をしてきたのだろうか。香川県立体育館をめぐる議論に欠けているのは、そのような建築をめぐる生きられた歴史ではないかと思う。
今年2月下旬、香川県文化財課からの依頼で、記録保存のための現地視察に訪れた。おりしも、解体工事の着手を目前に、地元の建築士会の人たちがコンピューターを用いた実測調査を進めていた。長く放置された状態だったが、最良の状態で記録に残したいとの思いから、徹底的な清掃が行われた。そのため、現役時代の活き活きとした姿で目の前にあった。実測調査により、手描きの設計図と照合したところ、かなりの精度で施工されていたことが確認できたという。
高松は、1945年7月3日深夜の米軍機による空襲で市街地の約80%を焼失する。戦時中から続いた建築資材統制が解除され、鉄筋コンクリートで建設できるようになったのが1950年、戦後復興のシンボルとして焦土の中に建ち上がった1958年の県庁舎に続き、この体育館の建設された1960年代前半も、けっして恵まれた状況ではなかった。そのことを想像するとき、建設に携わった技術者や職人たちが、この建築に注いだものの大きさが胸に迫ってくる。


木製の型枠を組み上げ、手押し車でコンクリートを流し込み、一丸となってつくり上げた手仕事の痕跡が、アリーナを支える格子状のワッフルスラブなどに刻まれている。混迷を深める現代に、これほどの思いをもって建設される建築はあるのだろうか。
地元有志による活用案の提案や解体工事の差し止め訴訟、それを持続的に伝えようとする地元メディアの関係者、そして、保存の声を挙げていると伝え聞いた高校生の思いも、この建築から伝わる熱量によるものに違いない。今はただ、立ち止まって、この体育館に刻まれた無名の人びとの記憶と命に静かに向き合ってほしいと願わずにいられない。
松隈洋/建築史家、神奈川大学教授、京都工芸繊維大学名誉教授
プロフィルはこちら→https://www.msz.co.jp/book/author/ma/16479/
旧香川県立体育館。2025年12月12日に撮影(写真:松隈洋)
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