解体工事が進められていた「旧香川県立体育館」が、保存活用に向けての“最後のチャンス”を迎えています(詳細はこちらの記事を→https://bunganet.tokyo/kagawastop/)。この機に、BUNGA NETでは緊急連載「旧香川県立体育館に思う──アーキテクトボイス50」を行います(発起人:田根剛、佐々木睦朗、北山恒、宮沢洋)。この建築や今回の経緯への思いを、1日1人ずつアップしていきます。36人目は、神戸市の「サンキタ広場」や「渋谷公園通り(道路)」に携わる建築家の津川恵理氏。本連載で一番若い寄稿者です。(ここまでBUNGA NET編集部)

建築が、時代に置いていかれる前に
旧香川県立体育館が、なくなるかもしれない。そのことについて文章を書いてほしい、と声をかけていただいた。
正直に言えば、最初に浮かんだのは「自分に何が書けるのだろう」という戸惑いだった。建築文化に対する建築家としての責任感が、自分の中のどこにあるのか。恥ずかしながら、私はそれを明確な言葉として持っていなかった。
学生の頃、丹下健三が設計した旧香川県立体育館を訪れたことがある。建築を学ぶ学生が名建築を巡る、その旅程のひとつだった。だから、この建築に特別な思い出があるのかと問われれば、正直、そうとは言い切れない。保存運動に携わっていたわけでもない。旧香川県立体育館再生委員会の活動をニュースで知り、署名に名前を書いた。それが、私にできたほとんどすべてだった。
むしろ私が気になったのは、「なぜ、この建築は壊されることになったのか」ということだった。
1964年に竣工した旧香川県立体育館は、吊り屋根の構造と、巨大なコンクリートの縁梁がつくる独特の姿から「船の体育館」とも呼ばれてきた。老朽化や耐震性の問題を抱え、2014年に閉館。香川県はその後、利活用の可能性も検討した上で、2023年に解体方針を表明し、2026年4月に解体工事へ着手した。本稿執筆時点では、住民訴訟に伴う耐震性調査のため工事は一時中断している。
つまりこれは、単純に「名建築なのだから残すべきだ」という話だけではない。安全性、維持管理、改修費、用途、公共財産としての責任。残すにも、壊すにも、現実がある。その現実の重さを前にすると、建築文化という言葉だけを掲げることの無力さも感じる。
それでも、今回執筆の機会をいただけたことを、私はなぜかとてもありがたく感じた。考え続ける当事者になる機会を、この建築からもらったように思えたからだ。
私にとって丹下健三は、完全に歴史上の建築家である。彼が亡くなった2005年、私はまだ建築を志す前の中学生だった。同じ時代の建築家として彼の背中を見たことはない。
それでも関西にいた学生時代には、香川県庁舎や広島平和記念資料館を幾度か訪れた。東京に移ってからは、国立代々木競技場や東京都庁舎の前を通るたびに、丹下建築が都市そのもののイメージをつくっていることを感じる。私たちは、本人を知らなくても、その建築がつくった風景の中に生きている。
旧香川県立体育館を初めて見たときの感覚も、今なお残っている。巨大な生き物が街の中にうずくまっているようだった。どこかジブリ映画に登場する生き物のようで、親しみより先に、少し怖いと感じた。
建築に対して「怖い」という感情を抱くことは、そう多くない。人間の身体尺度から少し外れたようなコンクリートの量感と、地面から持ち上がった船のような輪郭。機能だけでは説明できない何かが、そこに立っていた。あの違和感こそが、今思えば建築の強さだったのかもしれない。
第二次世界大戦後、日本の建築家たちは、新しい社会にふさわしい公共空間を模索した。旧香川県立体育館が完成した1960年代は、高度経済成長のただ中であり、カラーテレビ、クーラー、自動車の「3C」が豊かさの象徴となっていく時代でもあった。都市は拡大し、技術は進歩し、未来は今よりも明るく、巨大に見えていたのだろう。
同じ1960年前後には、社会の変化を建築や都市に取り込もうとするメタボリズムの思想も生まれている。建築を完成した瞬間に固定されたものとしてではなく、成長し、交換され、変化していくものとして考える。その発想の背景には、急速に変わる社会に対して、建築だけが取り残されてしまうことへの危機感もあったのではないかと私は想像する。
そして60年以上が経った今、社会の変化はむしろ速くなった。一方で、建築は簡単には動かない。人口減少、少子高齢化、環境問題、地方都市の縮小、建設費の高騰。さらに日本では、地震への備えや更新され続ける建物の安全基準とも向き合わなければならない。文化的価値が高いという理由だけでは建物を残せず、経済合理性だけでも都市の記憶を守ることはできない。
だからこそ、私は問いたい。これほど厳しい条件の中で、私たちは建築文化をどう残すのか。
人口も予算も増え続けない時代に、すべてを残すことはできない。だから「何を残すか」以上に、「なぜ残すのか」「どう次の時代へ変換するのか」を、建築家だけでなく、行政、市民、事業者が一緒に考える必要がある。建築文化は、建築家だけの所有物ではない。しかし、その議論を社会に差し出す責任の一端は、やはり建築家にあるのだと思う。
先代の建築家たちが残したものは、建物そのものだけではない。時代の困難に対して、建築で応答しようとした姿勢そのものが、私たちに渡された遺産なのではないか。
そう考えると、少しだけ闘争心が湧いてくる。
社会課題が山積しているからといって、建築文化を後回しにしていいとは思わない。むしろ窮屈な時代だからこそ、文化を諦めない方法をつくらなければならない。
私たちが諦めない限り、建築文化は死なない。
AIによって社会の変化がさらに加速するこれから、動かない、あるいは簡単には動けない建築が、変わり続ける社会とどう付き合っていくのか。かつてのメタボリズムをそのまま反復するのではなく、既存建築を時間の中で更新し続ける思想として捉え直すこと。私はそれを、個人的に「ネオ・メタボリズム」と呼んで考えてみたい。
旧香川県立体育館を残せるのか、残せないのか。その結論だけが、この建築の価値を決めるわけではない。
少なくとも私は、この建築の解体を前にして、初めて自分自身に「建築文化に対して、建築家として何を引き受けるのか」と問い始めた。
その問いが次の建築を変え、次の社会との向き合い方を変えるのだとしたら、その問いを私たちに突きつけたこともまた、旧香川県立体育館が残した建築文化のひとつなのだと思う。
津川恵理/建築家、ALTEMY代表
プロフィルはこちら→https://www.alt-emy.com/team
旧香川県立体育館(写真:宮沢洋)
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