土田陽介のユーラシアモニター
【土田陽介のユーラシアモニター】対ロ制裁とEU接近で変わるスイス、200年かけて築いた逃避通貨への信認はどうなる
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土田 陽介
三菱UFJリサーチ&コンサルティング・主任研究員
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2026.9.29(火)
1スイスフラン硬貨と1ユーロ硬貨(写真:ロイター/アフロ)
日本の通貨である円が弱いのと対照的に、スイスの通貨フランは強いままだ(図表)。そのフランの強さの理由に関して、諸賢によりさまざまな解説がなされている。特にその良好な経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)から説明をする向きが多いが、それだけではフランの強さを説明できない。逃避通貨としての実績も、フランの強さの源泉である。
【図表 フランと円の対ドル相場】 (出所)スイス国立銀行、日本銀行
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1814年9月から1815年6月にかけて、当時のハプスブルク帝国(現オーストリア)の首都ウィーンで、ナポレオン戦争後のヨーロッパの国際秩序を安定させるための国際会議、いわゆるウィーン会議が開かれた。“会議は踊る、されど進まず”と揶揄されたこの会議で、スイスはヨーロッパの永世中立国としての地位を確実なものにした。
それ以前からスイスは周辺の大国、つまりドイツ、フランス、イタリアの富裕層が資産を預託する地として知られていた。特に16世紀から17世紀、フランスのカルバン派の新教徒(ユグノー)の富裕層が、スイスに資産を逃避させたことがその起源と言われる。こうした資産逃避地としての性格は、永世中立化でさらに強まることになった。
スイスには、現在でも富裕層向けビジネス(プライベートバンキング)に特化した小規模な銀行が数多い。そうした銀行は、資産運用よりも資産保全に力を置いている。永世中立国のため、両大戦期、またその後の冷戦期において、どの国籍の資産家でもスイスの銀行を利用できた。こうした公平な金融取引の実績も、フランが逃避通貨として信認を得てきた歴史的背景の一つだ。
またスイスは、その永世中立性から、国際決済の場としても機能してきた。国際決済銀行(BIS)がバーゼルにあるのはそのためだ。ナチスドイツがスウェーデンから軍事物資を購入した際、スイスに金を持ち込み、それをフランに換えたうえでスウェーデンに支払いをしたのも有名な話だ。スイスの歴史はヨーロッパの金融経済史でもある。
そのスイスの永世中立性が、近年、徐々に変化してきている。
