2026年8月22日、茨城県稲敷市で花火大会が開催された夜。ときおり雨の混じる夜風、火薬のにおい、花火の弾ける音、拍手、そして歓声。いよいよクライマックスを迎えようとしたその時、ひときわ力強くこのフレーズが響き渡りました。
「花火、整いました。点火でございます!」
マイクの前にいるのは、「花火DJ 恵子ねぇ」こと篠崎恵子さん。
茨城県を中心に多彩なイベントでのMCをこなし、花火大会もいくつも担当して花火ファンにも注目されているアナウンサーです。
明るい笑顔と弾むような声、有名煙火店にも所属し花火ファンにも愛されて楽しそうに活躍。ですがそこに至るには、山あり谷あり、そして諦めない強い気持ちがありました。
「花火DJ」はどのように誕生したのか? 声の仕事への情熱、花火への思い入れ、そしてここまでの道のりとこれからの夢を、ご本人、そして彼女を取り巻く人々からお話を伺いました。
声の仕事を志したのは意外なきっかけ
篠崎恵子さんは、生まれも育ちも茨城県常総市。茨城といえば花火の盛んな土地柄で、恵子さんの実家では、良いことがあると、お父様が「花火あがっかな」「花火あげなくっちゃなんねぇ」とおっしゃっていたそうです。
これ、茨城の人にはよくあることなのかと思ったのですが、そういうわけではなく、恵子さんのお家だけのことだったよう。
いつも身近に花火があり、花火は「良いもの」「嬉しいもの」というイメージがあったそうですが、声の仕事をしたいと思い始めたきっかけは意外にも、「病院の受付」。
「病院の受付の方の声というか、呼びかけとかに憧れて。要は声を使って人とコミュニケーションをとるお仕事がしたいな、って。
高校を出たらアナウンサーの学校に行きたかったんです。でも、家族の反対で行くことができなかった。だけどそこで諦めずに、仕事をしながら独学で約10年、アナウンスの勉強を続けました」
―――独学とは、どんな方法で?
「テレビやラジオのアナウンサーの真似をずっとやっていたんです。特に、車を運転しているときにラジオをつけて、アナウンサーや、パーソナリティの後追い練習をしていました。手元に台本があるわけでもなく、ずっと追っかけで練習するというやり方です。
専門的なところでレッスンを受けるということはなく、先生についたわけでも、先輩がいたわけでもなく、プロの方の真似をするところから始めました。
最初の仕事は、茨城県取手市の行政のイベント司会。それからもボランティアで司会をしたり、行政に営業をかけたりして、仕事につなげていきました」
イベント司会の経験は、花火大会のステージイベントでも活かされています。
持ち前の行動力とコミュ力でアナウンサーとしての実績を積んでいた恵子さんですが、やがて大きな試練にぶつかります。
「人に嫌な思いをさせたくない、迷惑をかけたくない、嫌なことは全部自分のせい…と考えてしまう性格なんです。でも仕事で逆恨みを受けて、そこに家族も巻き込まれてしまって。親に負担をかけたくないと早くから親離れして、何かあれば役に立ちたいと思っていたのに、親不孝をしてしまった。そんな自分が許せなくて、鬱になってしまったんです。
上手く話すことができなくなり、人と接することも怖くなって、誰にも知られたくない、存在を消したいと思っていました」
鬱で苦しんだ期間は約5年。それでも、「喋る仕事に復帰したい」その一心で鬱から抜け出そうともがき、少しずつ回復しつつあるときに、東日本大震災が発生。「誰かのために動きたい」と思い、そこで動けたことがきっかけでレコード会社と出会い、音楽業界で働くことに。そしてアナウンサーとしても活動を続けることができるようになりました。
「アナウンサーと言っても、私はフリーアナウンサーと言ってもいいのかと今でも疑問をもってるんですよ。局アナだったわけでもないし、どちらかというと司会者、イベント司会とかMCのほうがピンと来るかなと思うんですけど、フリーアナウンサーのほうがかっこいいし、言ったもん勝ちだろうと(笑)」
そう明るく言えるようになるには、鬱に苦しむ中、「大丈夫、大丈夫」「自分の人生、自分のために生きるのよ」「楽しむことを頑張るの」と自分に声をかけ続け、そしてそれをたくさんの女性に伝えてきたからこそ。

「自由にゆるく適当に」がモットーと言いながら、今でも大きな仕事の前にはプロのレッスンを受けて、課題を洗い出したりと、さらに磨き上げることに余念がない恵子さん。
花火大会のアナウンスを担当するようになってからは、花火の知識をつけるため、花火鑑賞士資格も取得。
花火大会を終えたその日には、疲れ切っているであろう帰宅後に、配信された動画などを見て、その日の自分のアナウンスがどうだったのか、問題点は何かなど、記憶の新しいうちにチェックをするのだそう。
嬉しいことも苦しいことも経験し、「自分のための人生」を「楽しむことを頑張り」ながら、恵子ねぇは走り続けています。
こうして「花火DJ 恵子ねぇ」が誕生した
イベントアナウンサーとして着実にキャリアを重ねていた恵子さんがなぜ「花火DJ」になるに至ったのか?
「花火大会のアナウンサーをやる」と心を決めたのには、きっかけがありました。
恵子さんには妹さんがいらっしゃいます。その妹さんの結婚を待ちわびながら、花火の楽しさを教えてくださったお父様が逝去されました。妹さんは悲しみの癒えぬまま、結婚式を挙げることを躊躇してしまったのだそうです。
「でも父が楽しみにしていた結婚式なんだから、ちゃんと挙げよう。私が司会もプロデュースもするから、って。
そして、結婚式の2日前、地元で開催された花火大会に無理やり妹を連れてきてもらいました。妹が桟敷席に着いた瞬間、『天国のお父さん。あなたの大切な娘が結婚します』とアナウンスが流れました。そして1発の花火が打ち上がりました。
何も知らなかった妹は号泣していました。そのときに思ったんです。このメッセージ、私が読みたかった、って。そして花火アナウンサーになることを心に決めました。だから今も、メッセージ花火のアナウンスには特にこだわっているんです。メッセージを寄せた方の気持ちを相手にしっかり届けるんだ、って思っています」

恵子さんは2012年、茨城県下妻市の「下妻まつり」でついに花火大会のアナウンスを担当。朗らかでフレンドリーな恵子さんですが、初めての花火大会では…
「花火師さんが怖くてしょうがなかったんです。私にキュー出しするのも、現場にキュー出しするのも花火師さん。台本にも全く意見を出せませんでした。
本当にここ最近です、言えるようになったのは。そして、ここ2年くらいかな、台本を任せていただけるようになりました」
その恵子さんにさらに大きな転機が訪れたのは、2022年のこと。
2020年のコロナ禍から、たくさんの花火大会が中止になりました。恵子さんの地元である常総市には「常総きぬ川花火大会」という人気の花火大会があるのですが、そちらも数年にわたり中止に。
そんな状況が続いていた2022年11月、常総市で新しい花火大会が開催されました。「常総新花火」です。
2022年11月に開催された「常総新花火」
常総市では2015年に鬼怒川堤防決壊による大水害が発生し、多くの方が被害を受けました。2021年にようやくその堤防の修復が完了。その大水害からの復興の象徴として、その堤防で花火大会を開催したい、また、「常総きぬ川花火大会」が開催できない状況が続く中、常総市で花火の火を消したくないという強い思いをもった常総青年会議所が花火大会を主催したのです。
「SNSで、常総市で花火が上がると知って。一世一代の営業に動いたんです。飛び込みだとダメだと思って、そこに繋がる人を探して、つてを使ってたどり着きました。『アナウンスをやりたいので一度会って欲しい』と。それで常総青年会議所の方とお会いしました。その場に4人くらいの方がいたんですけど、そこで『これを読んでいただけませんか』と出してこられたのが、(茨城県)境町の「利根川大花火大会」のエンディングの台本だったんです。しかも最後の最後、エール交換のエンディングを盛り上げる一幕。会っていただいた場所は常総青年会議所理事長の会社だったんですが、気にせず、全力でやりました。そしたら、何日後かに、やってほしいとご連絡をいただいたんです」
そして「常総新花火」は無事開催。柔らかな声の朗らかなアナウンスは楽しい花火大会づくりに一役買っただけでなく、煙が溜りがちだった開催中に、手もとのパンフレットなどで風を送る「そよそよ~」のフレーズで、恵子さんは「そよそよ姉さん」として、その場にいた花火ファンにも認知されるようになりました。
それだけではなく、「常総新花火」ではさらに大きな出会いがありました。茨城県つくば市の煙火店、山﨑煙火製造所・山﨑智弘社長との出会いです。
山﨑煙火製造所に所属、より主体的に花火大会にかかわるアナウンサーに
「打ち上げの時に初めて山﨑社長にお会いして。そのときにいろいろな花火大会をやってみないかというお話をいただいて、そこから繋がってきたんです。
煙火店に所属しているアナウンサーというのはまず聞かないし、いないと思います。でも専属ではないんです。山﨑にこだわるなと社長に言われていて」
山﨑社長からいただいたという山﨑煙火製造所の法被は恵子さんの宝物。
山﨑煙火製造所のチームが大好きだという恵子さん。
「花火にはめちゃくちゃ真剣なチーム力が必要なんです。本当に信頼しあっています。花火大会当日、花火師さんたちはかっこよすぎて、そして恐れ多くて、花火師さんの溜まっているところに行くのは怖いんですよ。真剣なところで茶化さないようにしなきゃいけない。みなさんと仲良くしたいし、さあ、頑張ろうねって盛り上がりたい、でもそれができないもどかしさがありますね」
煙火店に所属したといっても、花火師ではない彼女は、当初は花火師さんとは距離があったと言います。
そんな距離をぶち壊してしまうほどのトラブルが起こったのは、2024年10月、茨城県行方市で開催された「サンセットフェスタ IN 天王崎」のとき。
トラブルと一緒に距離も乗り越えた
「サンセットフェスタ IN 天王崎」は、茨城県行方市の、霞ケ浦に面した天王崎公園で開催される、山﨑煙火製造所が担当するトータル1時間ほどの花火大会。
「サンセットフェスタ IN 天王崎」写真は2025年開催時のもの。
2024年の開催時には打上機材のトラブルがあり、途中で30分以上、打ち上げが止まってしまいました。花火大会では、トラブルや安全確認で一時的に打ち上げが止まることはよくありますが、30分というのは長いです。中止になるのか、続行か?不安と先の見えなさで会場内の空気もピリピリするところです。
その空白の時間を繋いだのは、恵子ねぇの集中力とアドリブ力でした。トークでつなぎ、集まった子供たちを巻き込んで、台船にいる花火師のみなさんに届けと「がんばって!」と声をかけていました。
その時のことを恵子さんはこう振り返ります。
「そんなに私は真剣に考えてなくて、それこそチーム力なんですよ。みんな諦めてないから。ディレクターが諦めてない、社長が諦めてない。だから私は当然のごとくネガティブな放送はまったくしていない。花火が上がるのを待っているだけ、私の仕事をしているだけっていう、簡単な話なんです。あのとき33分間上がらなかったけど、1時間でも、中止にしましょうという言葉が出るまでは「やる」ことしか考えません。
一度、下妻まつりで中止になったことがあるんです。花火師サイドの事故ではなくて、開始前にお客様が沼に転落してしまって。さあ中止だってなったとき、そこから延々、中止の放送だけをやったんですね。
『中止です』のアナウンスって、心が痛いんです。だから『中止です』っていう判断が出るまでは全力で場をつなぐ。最終的に中止になったとして、みんなが『ああ仕方ないよね』と、ちゃんと落としどころがあるような時間をつくりたいと思うんです。だから天王崎のときは子どもたちをとことん巻き込んだ。大人も、私の前を通ると巻き込むぞ!みたいな勢いで、何事だ?ってみんなが寄ってくるくらいの賑やかさを出して。ここまでみんなで応援したのに復活しなかったら、もう仕方ないでしょって気持ちで、お怒りなく帰ってもらえればいいなって。
あの時は、花火師さんありがとうの気持ち、見てくれている方、待っててくれてありがとうという気持ちだけでしたね。
そしたら、花火師さんは『恵子ねぇありがとう』っていう気持ちでやってたって聞いて。あのあと花火師さんが会う人会う人『あのときはありがとう』って言ってくれて。あの時一緒に乗り切れたことですごく仲良くなりました」
山﨑煙火製造所の花火師さんと。信頼で結ばれたチーム
なお、このときの中断は、結果としてトイレに行けたり、売店で買い物する時間ができたりで、むしろ途中休憩があるのがいいのではないか?という発見につながり、その翌年から天王崎では、打上げの中盤に休憩時間を取り入れています。これも、不安な空白の時間を楽しい時間に変えた恵子ねぇの機転があったからこそ。
アナウンサーがなぜ煙火店に?所属煙火店社長に直撃
恵子さんはアナウンスをはじめ広くイベント制作や講師も手掛ける「J3エンターテイメントオフィス」の代表を務めながら、2023年から山﨑煙火製造所にも所属しています。
山﨑煙火製造所は明治36年(1903年)創業の、土浦や大曲の全国花火競技大会をはじめとする数々の花火競技大会で優勝・入賞の実績を誇る、全国でもトップレベルの実力を誇る煙火店です。
現在の代表取締役社長・山﨑智弘氏にお話を伺うことができました。
右が山﨑煙火製造所・山﨑智弘社長。画像は2025年の「ちくせい花火大会」をアピール中のもの(篠崎恵子さん提供)
「恵子ねぇと最初に会ったのは2022年の『常総新花火』です。彼女も市町村のセレモニーとか結婚式の司会をやっていて、たまたま花火に興味があるということで、一回コラボレーションしてみようかという話になったんです。そしたら花火以外の話も取り入れたりして、場の空気も盛り上がる。一緒にできたらうちの花火の魅力ももっと全国に発信してもらえるんじゃないかなという期待も込めて、一緒にプロジェクトとして大きな花火大会もやっていこうということで始まったんです。
恵子ねぇのアナウンスは会場の雰囲気を全部持って行っちゃうので、花火も下手なものを打ち上げられない。いい意味でのプレッシャーがある。そして花火鑑賞士の資格ももっていて、花火のことを説明しなくてもわかるので楽なんです。
うちの会社も結構スタッフが多いんですけど、全員の名前を憶えていてくれるんですよ。本番前も緊張をほぐしてくれたり。その辺も本当に細やかなんで、チーム山﨑の一員だなと思っています」
と絶大な信頼を寄せています。

「花火DJ 恵子ねぇ」の名調子「花火、整いました。点火でございます」は、山﨑社長からいただいたものだそう。その言葉を恵子さんは、時に軽やかに、時に力を込めて、花火大会会場に響かせます。
アナウンスだけでなく制作まで、花火大会に深くかかわってゆく
恵子さんは、茨城県筑西市の「ちくせい花火大会」でもアナウンサーを務め、台本など全体の制作にもかかわっていますが、その実行委員会の方からはこんなお話が聞かれました。
2024年開催時のちくせい花火大会
「恵子ねぇとは何度も打ち合わせを重ねて、アナウンスだけでなく、プログラムの内容や台本作り、入場や終了後の音楽など、逐一いろんなことを一緒に作り上げています。それに恵子ねぇは、花火大会に関わるだけじゃなくて、筑西市のことも知ろうとしてくれるんです。スポンサーになってくれている地元の大きな会社にも訪問したり。
僕はほかのアナウンサーさんを知らないので、そういうものなのかと思っていたんですけど、『他の人はそこまでやらないよ』と言われて。
淡々とやりたい花火大会もあると思いますが、変わったことをやりたいと思っている『ちくせい花火大会』にはすごくあっていると思うし、『ちくせい花火大会には恵子ねぇあり』だと思っています」
当日のアナウンスだけでなく、企画や台本から関わり、花火大会だけでなくそれを取り巻く環境まで、より深く知ろうとする恵子さん。花火大会をより良くしていくために実行委員の方々とギリギリまで意見をぶつけ合う。そのアツさが、「花火DJ 恵子ねぇ」の真骨頂なんですね。
開始前の打ち合わせも、和気あいあいと、でも真剣に。ところで「花火DJ」ってなに?
―――「花火DJ」と名乗るようになったのは?
「アナウンサーとしてなにか軸を作りたい、と思ったときに、『得意なもの』ではなく『大好きなこと』を軸にしたいと思って。『花火』を据えることにしたんです。『花火DJ』という名称は、青川素丸さん(占い研究家であり、易学・空間力学・音素姓名学の第一人者)につけていただきました。2023年から名乗っています(商標登録済)。『DJじゃないだろ』なんてお声をいただくこともあるんですが(笑)」
―――確かに、ディスクは使ってないですね(笑)
「DJって音楽を流す人ですよね。私、花火大会のなかで、ミュースタの選曲はしないですけど、BGMやオープニング・エンディングの選曲もやらせてもらっています。
でもそれだけじゃなく、声はあくまでも音であって、アナウンスはメロディだと思っているんです。音楽と一緒っていう感覚が常にあって、高さや抑揚も、歌うのと同じような意識をしてるんです。場を盛り上げるためにアナウンスという音楽を流している、みたいな。
『花火DJ』という言葉をもらったときに、あら素敵、と思いました。最初はみんな『花火DJ』ってなに?ってひっかかるんです。それがすごくいいんです」
―――「花火DJ」としてのこれからの目標は?
「『花火DJ』で食べていけるようになりたいです。今はまだ茨城だけだけど、全国に出ていきたい。そして、後継者を育てたいです」
恵子さんのパワーとコミュ力、花火愛と真摯な取り組み方をみていると、その目標が叶う日は決して遠くないと思います。
この秋も「花火DJ 恵子ねぇ」は全開!
最後に、今後の「花火DJ 恵子ねぇ」の予定を教えていただきました。近年は秋の花火大会が増えていて、茨城は特に秋に大きな花火大会が多く、「花火DJ 恵子ねぇ」の季節はこれから。恵子ねぇが盛り上げる花火大会の楽しさ、ぜひ体験してみてください!
●ちくせい花火大会(茨城県筑西市)
2026年10月17日(土)開催
●サンセットフェスタIN天王崎 なめがたの湖上花火(茨城県行方市)
2026年10月24日(土)開催
●牛久沼 食と花火の煙楽祭 in つくば2026(茨城県つくば市)
2026年12月5日(土)開催
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