戦後日本において抽象彫刻家・造形作家として活躍した多田美波(1924~2014年)の没後初の大規模回顧展「多田美波―光、凛と ゆれる」が東京都現代美術館で12月6日まで開催されています。
皇居新宮殿のシャンデリア「光造形」(1968年)、帝国ホテル 東京の光壁「黎明」(1970年)などで知られる多田は、生涯でおよそ200点の彫刻作品と、500点に及ぶ建築関連作品を手がけました。同館の重要な収蔵作家の一人としても位置づけられています。
本展では、多田美波研究所の協力のもと、初期の絵画、各時代の彫刻、照明の作品など約70点に加え、建築造形のパーツ、写真、スケッチなどのアーカイブ資料を通して、約70年にわたる多田の仕事の足跡をたどります。
始まりは絵画
多田の作家としてのキャリアは、意外にも絵画から始まりました。多田は1924年、鉱山技師の父の赴任先である台湾・高雄に生まれ、父の転任に伴い朝鮮・京城(現韓国・ソウル)で育ちます。京城の高校で油彩画を学び、朝鮮美術展覧会へ出品し入賞。帰国後の1941年に女子美術専門学校(現・女子美術大学)に入学し、油彩画を専攻、1944年の繰り上げ卒業後に京城に戻り、終戦を迎えます。
再び帰国した多田は、1950年代に画家としてのキャリアをスタート。高度経済成長の真っ只中にあった日本において、時代を象徴した「変電所」と「炭鉱」に興味を寄せ、様々な表現へと展開していきました。
左《変電所》1958年 東京国立近代美術館蔵 右《変電所 L》1957年 多田美波研究所蔵
この二作は、いずれも変電所をモチーフに描いた作品です。左の《変電所》は、白い光に内包された色彩が、ほんのりと浮がび上がるように発光して見えます。右の《変電所 L》は、光の持つ複雑な色の重なりが、ネオンのように力強く外へ広がっています。活動初期の頃から既に、多田は光の様々な表情に興味を寄せ、観察し、表現していたことがうかがえます。
変電所を描いたスケッチも
炭鉱をモチーフにした作品が、1957年に制作したレリーフ《炭鉱》です。東京・炭労会館の入口に取り付けられた作品で、現在は夕張市石炭博物館(北海道)が所蔵しています。本展では、その実物大写真が展示されています。
多田は、本作で初めて、建築空間と一体となった作品に挑戦。実際に炭鉱を訪れ、現地取材やスケッチを行い、そこで働く人々との対話を重ねて作品を作り上げる姿勢は、後の建築作品の礎ともなったといいます。
初のレリーフ作品《炭鉱》(1957年)の実物大写真
独学で彫刻の道へ
1957年に二科展に入選するなど、順調なキャリアを歩んでいたかのように見えますが、その頃、多田はアカデミックな技法が無意識に絵画上に現れ、自身の表現の幅が狭まっていると考え、独学で彫刻を学び始めます。幼少期から培ってきた専門性に甘んじることなく、未知の分野へと自ら足を踏み入れたのです。
1960年代、初期のブロンズ彫刻
本展では、初期の立体作品であるブロンズ彫刻も展示。多田の表現が平面から立体へと変遷していく様子を実感することができます。
多田の作品を「体験」
写真左《周波数 37303030MC》1963年 東京国立近代美術館蔵
多田は、東京オリンピック(1964年)、大阪万博(1970年)などで普及した工業素材を積極的に用いて、次々と立体作品を生み出していきます。ときには素材と「格闘」し、素材ならではの表情を引き出していきました。
その痕跡をありありと伝えているのが、1960~70年代の作品がズラリと並ぶ展示室。このエリアでは、多田の作品を間近で見て、周りを歩きながら、「体験」するように鑑賞できます。
まず目に飛び込んできたのがアルミニウムで作られた「周波数シリーズ」です。
《周波数373055MC》1963年 多田美波研究所蔵
巨大なアルミニウムの量感や無骨さと、くしゅくしゅっと寄せられた「皺」のギャップがなんともユーモラスでした。この独特の皺は、多田が「指紋をつけたくない。手の痕跡をつけたくない」という思いのもとで、アルミニウムを叩いたり、バーナーであぶったりして作り出したものだといいます。
《Phase-Space 6943》1969年 神奈川県立近代美術館蔵
《Phase-Space 6943》も、多田の代表作の一つです。造形はアクリルでできていますが、アルミニウムを蒸着メッキすることで、鏡面効果が生まれています。作品表面には、展示室の壁や床、天井、光が渦巻くように映り込み、そこに、室内の人々の動きが加わることで、刻々と表情が変わっていくユニークな作品です。
《超空間 No. 3》1975年 多田美波研究所蔵
《超空間 No. 3》は、分厚いアクリル板を重ねて作られています。覗き込むと、向こう側の風景がゆがんで見えます。屋外でこの作品と対面したら、どんな景色が見えるのでしょう? 作品名も相まって、想像が掻き立てられました。
展示風景
展示されている作品はシンプルな造形で、周囲の風景にすっと馴染みますが、一方で、見る者を楽しませてくれます。「生活空間の中に芸術を浸透させる」という多田のモットーが、それぞれの作品に確かに息づいているようです。そして、その志は、照明器具や、建築に関わる仕事にも反映されていくのです。
豊かな自然光の中で野外彫刻を堪能
同館のアトリウムに展示された野外彫刻も見どころの一つです。自然光がたっぷりと差し込む、高さ19mの吹き抜け空間と、光によって豊かな表情を見せる多田の作品は、相性抜群と言えるでしょう。
右手前《Mirage》1989年 多田美波研究所蔵
陶板などを組み合わせて作られた《Mirage》は、角度によって、少し鈍みがかった虹色に発光して見えます。その秘密は、ラスター彩という技法にあるそうです。
《翔》1986/2026年 再制作 多田美波研究所蔵
《翔》は作品名の通り、空中を軽やかに舞っているかのようですが、素材はステンレスなのだとか。地震のリスクも踏まえて、安全性に考慮して設計されたそうです。建築に携わる多くの人々や技術者と対話を重ね、信頼関係を築きながら、意匠のみならず安全性やメンテナンス性にも配慮した作品を作り上げる――。そんな多田の姿に、思いを馳せずにはいられません。
《究》1999年 多田美波研究所蔵
アトリウムのなかに、少し雰囲気が異なる作品が一つあります。その名は《究》。実は、この一点のみ、鋳造された作品です。脳梗塞で半身麻痺になった多田が、まだ動いた右手で粘土から作り、それを型にして作られたそうです。多田美波研究所の所長・岩本八千代さんは、本作を「多田の魂の形」と表現しています。
現存しない作品や照明作品が美術館に蘇る!
手前《チェーンデリア》1963/2026年 マツヤ・サロン、全共連ビル(東京)に設置されていた作品の再制作
奥 光造形《瑞雲》1973/2026年 リーガロイヤルホテル大阪 ヴィニェット コレクション設置作品の再制作
本展では多田美波研究所の協力のもと、現存しない作品や照明作品の一部が再制作・再構成のうえで展示されています。松屋サロン(銀座)に設置され、多田が皇居・新宮殿のシャンデリア「光造形」を委託される契機となった「チェーンデリア」などを通して、多田が追求した光の造形を間近に体感することができるのです。
《光造形》1965/2026年 「クラブ赤いドア」(大阪)に設置されていた作品の再構成
こちらは、「クラブ赤いドア」(大阪)に設置された「光造形」の再構成。「光造形」とは多田による造語で、内部に光源を含む照明作品や建築造形などを指すそうです。
天井から吊り下がる花びらのようなパーツは、形も、光の色味や強さも、一つ一つ異なります。アクリルで作られているにも関わらず、月光、ろうそくを思わせるような、自然な光の揺らめきは、とても心地が良いです。
《瑞光》2013年 陶板レリーフ《瑞光》(オリーブベイホテル、長崎) のための原画 多田美波研究所蔵
多田の最後の作品《瑞光》の隣に添えられていた言葉が印象的でした。「結局お手本にするのは全部自然の光ですね」「光はいろいろな意味で、本当に人の心を慰めるものでありたいと思うのです」(「星の光 街の光」村山定男との対談より『明日の友』1990年7月)。人々の日常に溶け込み、寄り添う多田作品の真髄が凝縮されているようです。
多田の仕事の足跡、表現の変遷をたどりながら、その時々の作品が見せる表情をじっくりと味わうことができる展覧会です。多田の作品と美術館の空間が織りなす、光や空気に身をゆだねてみてはいかがでしょうか。
(読売新聞美術展ナビ編集班・美間実沙)
多田美波・プロフィール
1924年、台湾・高雄に生まれ、朝鮮で育つ。高校在学中に朝鮮美術展覧会へ出品し入賞。1944年、女子美術専門学校(現・女子美術大学)西洋画科を卒業し、1956年に第41回二科展、1957年第9回読売アンデパンダン展に油彩画を出品。1957年、東京・炭労会館のためにレリーフ《炭鉱》を制作。1962年、多田美波研究所を設立。代表的な彫刻作品に、半円球のアクリルにアルミニウムを蒸着メッキし鏡面のように仕上げた《周波数37306505》(1965、東京都現代美術館)やステンレスの屋外彫刻《キアロスクーロ》(1979、東京国立近代美術館)がある。建築空間における仕事としては皇居新宮殿の光造形(1968)や約7,600個ものガラスブロックから作られた帝国ホテル 東京の光壁《黎明》(1970)、紫雲をイメージしたリーガロイヤルホテル大阪の照明《瑞雲》(1973)などがあげられる。2014年に逝去。主な受賞歴に「第8回日本国際美術展優秀賞」(1965)、「第1回ヘンリー・ムーア大賞」(1979)、「第6回吉田五十八賞」(1981)、「紫綬褒章」(1988)の受章、および「勲四等宝冠章」(1994)の叙勲。主な国内個展に「特別展 多田美波――光の迷宮―」(1991、渋谷区立松濤美術館、三重県立美術館)、「開館40周年記念 多田美波展 ―光を集める人―」(2009、彫刻の森美術館)など。
多田美波研究所での制作風景 1978 撮影:成瀬友康 (株)世界文化社提供
多田美波―光、凛と ゆれる
会場:東京都現代美術館 企画展示室 B2F(東京都江東区三好4-1-1)
会期:2026年8月29日(土)~12月6日(日)
開館時間:10:00~18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日、10月13日、11月24日
(10月12日、11月23日は開館)
観覧料:一般1,600円/大学生・専門学校生・65歳以上1,100円/中高生640円
※小学生以下無料
アクセス:東京メトロ半蔵門線・清澄白河駅B2出口より徒歩9分/都営地下鉄大江戸線・清澄白河駅A3出口より徒歩13分
詳細は、東京都現代美術館公式サイトまで。
