成果さえ残せば、属性も何も問われない業界を選んだ(下)

一般社団法人work with Pride 代表

2026.04.10

ダイバーシティ

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米ワシントンの投資コンサルティング会社を共同経営する齋藤ジンさんが、米国の反DEI(多様性、公正性、包摂性)政策の背景と、日米社会の違いを解き明かします。2025年末、都内で開催された「work with Pride 2025 カンファレンス」で、齋藤さんが一般社団法人work with Pride代表の松中権さんと、「世界のDEIの現在地点と未来」をテーマに対談した内容をお伝えします。

(上)「大事なのは腹落ちするスピードで世界を変えていくこと 齋藤ジン
(下)性の在り方をオープンにできる場を探して、米国に渡った 齋藤ジン ←今回はココ

なぜ日本は江戸時代に「鎖国」をしたのか

松中さん(以下、略) 前回記事で日米の社会変革の仕方の違いについて聞きましたが、日本社会が変革を起こす方法は、米国式のトップダウンではなく、地道に変化を積み上げていくやり方なのですね。

松中さん

松中さん

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齋藤さん(以下、齋藤) そうです。例えば戦国時代に、西洋から新しい兵器や戦術が入ってきたことをきっかけに、戦い方は飛躍的に進化しました。その後、日本人は「日本人って何だっけ?」と改めて問い直したのです。そして、いったん国を閉じました(いわゆる鎖国)。鎖国は新しい流れを自分たちなりに消化するための「消化吸収期間」だったのだと、私は理解しています。

 人類の歴史では、異文化の衝突によってさまざまな刺激が生まれ、それが元からあった文化に波及効果を及ぼして発展します。でも、そうやって発展して変わり続けるプロセスでは、「私は世界市民なんかじゃない。あくまで米国人だ」と立ち止まりたくなる人もたくさん出てくるのです。自己のアイデンティティーは大事であり、自然発生的ではない「世界市民」という存在に、たった30~40年で跳躍せよ、と言うこと自体に無理があるのでしょう。

 日本人は最初から「跳躍」しようとしませんでした。世界経済がマーケット至上主義に移行する中で、あえて移行せずに、私から言わせれば、社会を守るために、「弱い経済」や「衰退する経済」を選択してきたのです。和を守るのが日本の文化だとして、日本人は日本人のペースでDEIというものを受け入れてきた。日本社会では、多くの人がもともと善か悪かという対立軸を持ち合わせておらず、一般多数が新しい考え方を受け入れた瞬間に、「それでいいんじゃない?」といきなり価値観の転換が起きるのです。

―― 確かに、日本では企業内でトップやDEI推進担当の方々が何年もかけて、多様性推進の取り組みを積み上げ、その結果、価値観がじわじわ変化してきたという経緯があると感じます。

 齋藤さんは本の中で、ご自身の性の在り方をオープンにしています。日本を飛び出し、米国に居を移してから、トランスジェンダーであることをカミングアウトしたそうですが、それについて話を聞かせてください。