薄暗い鍛冶屋の
火床(ほど)
からゴーゴーと赤黄色い炎が噴く。先が赤く溶けた鉄棒を取り出し、機械ハンマーでたたいた後、手にした金づちを打ちつける。そこに鋼をあてがい再び火床へ。

「鉄は熱いうちに打て」の鉄則を実践する田中さん(兵庫県三木市で)「鉄は熱いうちに打て」の鉄則を実践する田中さん(兵庫県三木市で)

 炉は1100度以上。鉄の色を見定め、瞬時に取り出し、また打つ。平面、そして背をたたき、包丁の形を作っていく。

 刃物の切れを担う硬い鋼と、支える地金の鉄をたたいて合わせる。
鍛接(たんせつ)
、鍛造の手打ち包丁。田中
誠貴(しげき)
さん(49)(兵庫県三木市別所町石野)が、越前・武生から持ち帰った伝統の技だ。

 金物のまちで知られる播州・三木。田中さんの住む石野地区はかつて草刈り鎌に携わる家が多く、実家も鎌鍛冶だった。漠然と家業を継ぐと思って育ったが、安い中国製の鎌に押されて不振に。高校卒業時には、福井の包丁鍛冶の親方の元に出た。

 親の決めたレールに乗り、見知らぬ北国へ。当初、反発もしたが、弟子入り後の、ある光景に目を奪われた。

 汗をしたたらせ、ひたむきに鉄を打つ年上の職人の背中だった。

 「輝いて見えた。かっこよかった。あんなおっちゃんになりたいと思ったんです」

田中さん作の高級包丁田中さん作の高級包丁

 包丁鍛冶の道へ、腹をくくった瞬間だ。3年余りの修業の後、「今の時代、お礼奉公なんてせんでええ」という親方に背を押されて帰郷した。

デザイナーとともに先駆的に作ったゴスロリ調の包丁デザイナーとともに先駆的に作ったゴスロリ調の包丁

 大工道具が多い三木の金物において、プレス機で打ち抜いた大量生産品が主流になる中で、手打ち包丁にこだわった。試行錯誤を繰り返し、たどり着いた「誠貴作」ブランドの包丁は、次第に使い手の信頼を得た。ストレスを感じさせない切れ味に、「みんなにっこりするんです」とにんまり。

 火を入れ、たたいた刃物は内部が
緻密(ちみつ)
になり、強くなる。田中さんは「良い包丁を作りたい」という一心で、金づちを振るのだという。

 先人らの引退で、本格手打ちの包丁を手がける職人は全国的に姿を消しつつある。「千年以上の伝統の技も廃れたら戻らない。だから残し、伝えていく使命があるんです」と思いは熱い。

 とはいえ、田中さんは「守り」だけにとどまらない。いくら良い包丁でも、新たに興味を持ってもらい、手にとってもらうには、工夫が欠かせない。

 ゴスロリ(ゴシック・アンド・ロリータ)調の奇抜なデザインの包丁に挑戦したのも、その話題づくりだ。大阪・関西万博に合わせ、外国人らの鍛冶屋体験も積極的に受け入れた。

 「伝統を守り、次代に引き継いでいくには、僕ら自身が変わらないといけない」。その目は未来に向いている。(青野達哉)

メモ

 三木市が〈金物のまち〉として栄える契機となったのは、安土桃山時代、羽柴(豊臣)秀吉が三木城を兵糧攻めにした三木合戦だった。「三木の干し殺し」とも称される苛烈な戦乱で疲弊した町を再興するため、各地から大工が集められた。それに伴い、大工道具を作る鍛冶職人も増え、今日の金物作りの隆盛をもたらすことになった。1996年には「播州三木打刃物」として、鋸(のこぎり)、鑿(のみ)、鉋(かんな)、鏝(こて)、小刀の5品目が、国の伝統的工芸品に指定され、2008年には「三木金物」が地域ブランドとして認められた。

関西発の最新ニュースと話題
あわせて読みたい