東京都美術館(上野公園)で、「東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展」が4月28日から開催されます。
20世紀アメリカ具象絵画を代表する画家アンドリュー・ワイエス(1917~2009年)。第二次世界大戦後に脚光を浴びたアメリカ抽象表現主義、ネオ・ダダ、ポップアートといった動向から距離を置き、ひたすら自分の身近な人々と風景を描き続けました。その作品は眼前にある情景の単なる再現描写にとどまるものではなく、作家自身の精神世界が反映されたものとなっています。
彼の作品には、窓やドアなど、ある種の境界を示すモティーフが数多く描かれます。境界は、西洋絵画史のなかで古くから取り上げられてきたテーマですが、ワイエスにとってはより私的な世界との繋がり、あるいは境目として機能しています。本展は、その境界の表現に着目して、ワイエスが描いた世界を見ていこうとするものです。

東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展
会場:東京都美術館(東京都台東区上野公園8-36)
会期:2026年4月28日(火)~7月5日(日)
開館時間:9:30~17:30、金曜日は20:00まで
(入室は閉室の30分前まで)
休館日:月曜日、5月7日(木)
※5月4日(月・祝)、6月29日(月)は開室
観覧料:一般 2,300円、大学・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,600円
※18歳以下・高校生以下無料
※身体障害者手帳等をお持ちの方と付添1名まで無料
アクセス:
JR上野駅「公園改札」より徒歩7分
東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅「7番出口」より徒歩10分
京成電鉄京成上野駅より徒歩10分
詳細は、展覧会公式サイトまで。
みどころ
①ワイエスの没後、日本初となる待望の回顧展
1974年に東京と京都で33万人を集めた日本で最初の個展以来、1995年、そして2008~9年にもワイエスの展覧会が開催され、日本でのワイエス人気は不動のものになりました。本展はワイエス没後はじめてとなる、国内待望の展覧会となります。
② テーマは「境界」。アンドリュー・ワイエスの精神世界へ
ワイエスの作品には窓や扉など、「境界」を示すモティーフがたびたび表れます。それらはワイエスにとって生と死、画家自身の精神世界と外の世界をつなぐものだったと考えられます。本展では「境界」に着目し、彼の作品を見つめ直します。
③ 日本初公開となる作品多数
ホイットニー美術館(ニューヨーク)の《冬の野》(1942年)、フィラデルフィア美術館の《冷却小屋》(1953年)、フィルブルック美術館の《乗船の一行》(1984年)をはじめ、10点以上が日本初公開。あらためてワイエスの魅力にふれる機会となるでしょう。
展覧会構成
I ワイエスという画家
ワイエスは、アメリカ美術の中で位置づけるのが難しい独自の絵画世界を作ってきた画家です。同時代の前衛的な芸術動向から距離を置き、生まれ故郷のペンシルヴェニア州と夏の家のあるメイン州という、少年時代から行き来した二つの地域の身近な人々と風景を描き続けました。自分が美術史上どう位置づけられるかというような意識など持たずに描かれたワイエスの作品は、彼自身を投影する私小説のようなものでした。しかし、単なる私小説に終わらず、それぞれの作品の中に普遍的なものを感じさせるところにワイエスの作品の本質があると言えます。
《自画像》 1945年 テンペラ、パネル 63.5×76.2cm ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン、ニューヨーク National Academy of Design, New York, USA/Bridgeman Images. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
スケッチブックを脇に抱え、怒ったような表情を浮かべる自画像です。ワイエスは自らの心に響く何かを求めて日々自宅の近隣を散策しながらスケッチを重ねました。高名な挿絵画家である偉大な父が、踏切事故により突然この世を去ってしまった時期に描かれました。
II 光と影
ワイエスは光と影を巧みに使用して描きますが、それは「生と死」という人が逃れられない命題と向き合った結果として、画面構成に表れたものでもありました。ワイエスが生と死を強く意識したきっかけは、1945年に踏切事故で父と幼い甥のふたりを亡くしたことでした。さらにその5年後には、肺疾患の手術中に一時的に心臓が止まるという経験をしており、死をより身近なものとして意識するようになります。しかしワイエスは生と死を対立したものではなくつながっているものと捉えており、彼の作品の根底には、「世の無常」という日本人にはなじみのある哲学が流れるようになっていきます。
《洗濯物》 1961年 水彩、紙 76.8×55.9cm カマー美術館、ジャクソンビル Gift of an Anonymous Donor, Cummer Museum of Art & Gardens, Jacksonville, Florida, USA ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
チャッズ・フォードのアトリエで暮らしていた頃の生活の一場面を描いた作品です。暗く沈んでいる窓際と陽を受けて白く輝く洗濯物が対比されています。妻ベッツィの主婦としての仕事と自身を陰から支える有能なマネージャーとしての側面を、明暗の対比によって意識しているようにも感じられます。
《粉挽き場》 1962年 テンペラ、パネル 77.5×130.8cm フィラデルフィア美術館 Philadelphia Museum of Art: Gift of the Honorable Walter H. Annenberg and Leonore Annenberg and the Annenberg Foundation, 2007-13-3 ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
描かれているのは独立戦争時代からの歴史ある粉挽き場と職人の家です。この建物は後にワイエスが入手して増改築を行い、夫妻の新居とした。建物の間の二羽の鳩は、ここが夫婦二人の世界となることを暗示しているようです。
III ニューイングランドの家:オルソン
ワイエスは30年間に亘ってメイン州のオルソン・ハウスとそこに住むクリスティーナとアルヴァロのオルソン姉弟を描き続けます。進行性の病気によって脚が不自由でありながらも気高い独立心を持つ姉クリスティーナと、彼女を支えるために好きな海での漁を辞め、農作業に従事した忍耐強い弟アルヴァロ。二人の人間性にワイエスは強く惹かれました。また、メイン州が最初期に入植された土地であり、オルソン姉弟の父もまた移民だった点も見逃せません。ワイエスは姉弟の生活から、最初にこの地に入植し、アメリカの土台を作った人々の姿を思い浮かべていたのかもしれません。
《クリスティーナ・オルソン》 1947年 テンペラ、バネル 83.8×63.5cm マイロン・クニン・コレクション、ミネアポリス Myron Kunin Collection of American Art, Minneapolis, MN photo: Curtis Galleries, Inc. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
200点以上のワイエス作品でモデルを務めたクリスティーナ・オルソンを描いた作品。病気により足が不自由であった彼女は自由に歩き回ることが出来ませんでした。彼女は、陽の光あふれる外と暗い室内のちょうど境に腰を下ろし、内と外をつなぐ役目を与えられています。風になびく彼女の髪は、室内の静的な暗さと対照的に、明るく生命感のある外の空気の動きも表現しているようです。
《オルソンの家》 1966年 水彩、紙 71.0×48.4cm 丸沼芸術の森 ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
オルソン・ハウスの暗い納屋の内部から明るい母屋を臨んで描いています。暗い納屋と明るい母屋は、オルソン家の生活を支えた内向的な弟アルヴァロと社交性のある姉クリスティーナの関係を想起させます。
《オルソン家の終焉》 1969年 テンペラ、パネル 46.5×49.5cm クリーブランド美術館 The Cleveland Museum of Art, Promised Gift of Nancy F. and Joseph P. Keithley ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
1967年から68年にかけての冬、オルソン姉弟が相次いで亡くなります。姉弟が亡くなって最初の夏、ワイエスはオルソン姉弟の家(オルソンハウス)を訪れて本作を描きました。複雑な海岸線が特徴的なメイン州。その入江のひとつに今でもオルソンハウスはひっそりと建っています。
IV まなざしのひろがり
ワイエスは、クリスティーナ・オルソンや隣人のカール・カーナーなど、同じ対象を描き続けたことが知られています。クリスティーナやカールの没後には、ヘルガ・テストーフがモデルとなりましたが、その後はより幅広いモティーフに気を留めて描くようになります。そして自宅の周囲を散策し、自分の心に「カチッ」とスイッチが入る瞬間を探し続けました。そうして選び取られた瞬間の景色や情景に通底しているのは、生の営みとそれに連続する死の影ともいえるもので、単に明るい平明な再現描写にとどまらない、人が生きることに感じる生の終わりをも描き込もうとしているようです。
《乗船の一行》 1984年 テンペラ、パネル 70.5×51.4cm フィルブルック美術館、タルサ Philbrook Museum of Art, Tulsa, Oklahoma. Bequest of Marylouise Cowan, 2010.9.11. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
メイン州のワイエス夫妻が所有する島の無人の室内を描いた作品です。この部屋にいた人たちは窓の外に見えているヨットに乗船したのでしょうか。時の流れ、人の移動、さらに違う世界への旅立ちさえも想像させる世界が広がっています。
《灯台》 1983年 テンペラ、パネル 84.5×57.8cm ユニマットグループ ©2026 Wyeth Foundation for American Art/ARS, New York/JASPAR, Tokyo
灯台の内部を描いた作品で、開かれたドアの手前に犬が座り、ドアの奥には階段が見えています。階段の上から漏れている光は、遭難しないよう灯台を頼りに航海を続ける船乗りたちの生をつなぎとめるものであり、入口に座る犬はそれを注意深く守っているようです。
《花びら》 1991年 水彩、紙 75.5×56cm ボストン美術館 Museum of Fine Arts, Boston, Bequest of Sandra Sheppard Rodgers ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
ワイエスの自宅を描いた作品。夫婦の寝室がある屋根裏部屋の窓が開け放たれ、そこから外のさわやかな空気が室内に入っていくようです。私的な部屋に外気を取り入れる様は、ワイエスの親しみやすい性格も想起させます。
V 境界あるいは窓
ワイエスが描いてきた対象は、自分が良く見知っている人や近隣の風景でしたが、単にそれを記録するのではなく、自らの心に響いたある瞬間を描きました。そうして生まれた作品の根底に流れているのは彼の抱いていた世の無常=死生観でした。直接的に死を扱った作品は多くありませんが、生と死を隔てる「境界」として、窓やドア、水路に張った氷が作品にあらわれます。しかし、それらの境界の向こう側とこちら側は、単純に生と死を対立させて表現しているのではありません。ワイエスにとって境界は、生と死をつなぐもの、連続するものの象徴として位置づけられています。
《ゼラニウム》 1960年 ドライブラッシュ・水彩、紙 52.7×39.4cm ファーンズワース美術館、ロックランドCollection of the Farnsworth Art Museum, Rockland, Maine, Bequest of Betsy James Wyeth Trust, 2021.1.1 ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
窓辺の向こうにゼラニウムの鉢とクリスティーナ・オルソンの姿が見えています。クリスティーナを窓越しに描くことによって、障害により厳しい世界を生きていた彼女との距離感を感じさせています。
《ヒトデ》 1986年 水彩、紙 72.7×54.0cm フィルブルック美術館、タルサ Philbrook Museum of Art, Tulsa, Oklahoma. Bequest of Marylouise Cowan, 2010.9.14. ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
ヒトデが飾られた窓越しに双眼鏡を覗く妻ベッツイの姿と、その向こうの水平線が見えています。双眼鏡の向こうには海に出た息子たちの船が見えているのでしょうか。窓と双眼鏡を通じて、部屋の中から妻のいる窓の向こう側へ、さらに双眼鏡の先の海へと意識の広がりが感じられる作品です。
《薄氷》1969年 テンペラ、パネル 110.2×121.9cm 株式会社三井住友銀行 ©2026 Wyeth Foundation for American Art / ARS, New York / JASPAR, Tokyo
クリスティーナ・オルソンの亡くなった次の冬に描かれた作品で、氷の下に枯れ葉が沈んでいます。氷の下は死の世界を表すかのようですが、ワイエスはその枯れ葉が自身の重ねた経験や出会った人々であり、死そのものではないと語っています。
アンドリュー・ワイエス プロフィール
1917年7月12日、アンドリュー・ワイエスは、高名な挿絵画家だったニューウェル・コンヴァース・ワイエス(N.C.ワイエス)の5番目の子としてペンシルヴェニア州チャッズ・フォードの自宅で生まれました。幼い時から父の手ほどきを受けて画家の道へ進み、1937年の個展では全作品が完売するなど、若くして頭角を現します。同時代の前衛的な芸術からは距離を置き、生涯にわたり故郷のペンシルヴェニア州と夏を過ごしたメイン州を拠点に身近な世界を精緻に描き続けました。
ワイエスの作品には、アメリカ合衆国の土地やそこに刻まれた歴史、反映されそこに生きる人々の姿が描き出されており、アメリカ国内で高く評価されました。2007年にはブッシュ大統領から芸術勲章を授与されています。日本での人気も高く、1974年の初の回顧展以降、度々展覧会が開催されてきました。2009年1月16日に老衰のため亡くなりますが、アメリカの国民的な画家として今なお高い人気を誇っています。
本展は、アメリカの国民的画家として名高いアンドリュー・ワイエスの没後、日本で初めての本格的な回顧展です。会場には、日本初公開となる10点以上の名作を含む、約100点もの作品が並びます。窓や扉といった境界の向こう側に広がる、生と死、内と外が連続するワイエスのまなざし。光と影が織りなす静謐な物語の中に、私たち日本人の心にも響く「無常観」を見出すことができるでしょう。テンペラ技法を現代に蘇らせた巨匠が描き出した、静かながらも確かな生命の鼓動を感じるひとときを存分に体感できる展覧会です。(美術展ナビ)
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