3月7日に行われたシックスネーションズ第4節で、イタリア代表 “アッズーリ“ はイングランド代表に23-18で史上初めて勝利した。イタリア代表のホーム、ローマ・オリンピコで行われたこの歴史的な一戦は、この先も長く語り継がれるだろう。

 過去、32度の敗戦を経て、ようやくラグビー発祥国からの勝利を手にした。最終節、ウェールズ代表を相手に17-31と落とすも、イタリアは史上初の4位となった。

 イングランド戦のプレーヤー・オブ・ザ・マッチに選出されたCTBトンマーゾ・メノンチェッロは、前半に中央突破から逆転トライ、そして試合終盤にはラインブレイクからトライを演出した。大活躍の23歳は、試合後のミックスゾーンで語った。

「我々はこれまでの32試合で誰も達成できなかったことをついに成し遂げた」(OnRugby:イタリアのラグビー専門メディア)

 イタリアは、今季のシックスネーションズで2勝3敗。開幕節ではスコットランドに18-15で競り勝った。過去を振り返れば、2000年の加入から常に最下位争いの常連で、2016年から2023年の間には「40戦1勝」という目を覆いたくなるような記録を作ってしまった。

イングランド戦の歴史的な勝利を伝えるFederazione Italiana Rugbyの公式Instagram

 しかし2024年にアルゼンチン出身のゴンサロ・ケサダがヘッドコーチに就任して以来、シックスネーションズでは2024年に2勝1分(5位)、翌年に1勝(5位)、そして今年は2勝と着実に前進を続ける。アルゼンチンのメディア関係者に聞いたところ、ケサダの手腕はもちろん、彼の人格に関しても国内の評価は高い。事実、イングランド戦の後にアルゼンチンメディアで掲載された記事には、こんな記述があった。

「2年前、イタリアは同じスタジアムでイングランドに迫りながらも、歴代最小の点差で敗北(27-24)に甘んじていた。今回の成功は、触れるチームすべてを黄金に変えるかのようなケサダの成長を物語っている。2011年のフランス代表アシスタントコーチを経て、ラシン92、スタッド・フランセ、ビアリッツ、そしてハグアレスのヘッドコーチを務めた彼は、いまや国際舞台でその能力を証明している」(LA NACION)

 なぜイタリアは勝てるようになったのか。そして「触れるチームすべてを黄金に変える」ケサダとは、いったい何者なのか。

 1974年にアルゼンチン・ブエノスアイレスで生まれたケサダは、ブエノスアイレス郊外の名門アマチュアクラブ「ヒンドゥ(Hindú)」で、シニアチームを指導する父親のもとで育った。アルゼンチンに完全なプロクラブはない。一人のアマチュア選手として、ラグビーをプレーした。

 その後、代表チームプーマスに選出されると、正確なプレースキックで名を馳せるようになる。1999年のワールドカップでは102点を挙げて大会の最多得点を記録すると同時に、母国初のベスト8進出にも大きく貢献した。当時のBBCはキックまでに長い時間をかけることへの皮肉から「スピーディー・ゴンザレス」(アニメキャラクターのすばしっこいネズミ)とあだ名を付けられたケサダの活躍を取り上げている。ワールドカップ後はフランスへ移籍、スタッド・フランセやトゥーロンなど計5クラブを渡り歩き、2007年に古巣ヒンドゥに戻って引退を決める。代表キャップは39を保持している。

2月14日のアイルランド戦には13-20と惜敗も、「きょうは素晴らしい試合ができたと十分に理解しているし(選手たちを)本当に誇りに思っている。目標は競争力のある戦いをすることだった。2年前(2024年)には0-36で敗れていたからだ。チームも、プレーも、そしてその勇気も信じられないほど素晴らしかった」とチームのハードワークを称えた。Federazione Italiana Rugbyの公式Instagramより

 引退の翌年からは、フランス代表のキッキングコーチとしてコーチングのキャリアを歩み始める。ラシン92のバックスコーチを経て、スタッド・フランセに長く従事する中で、2015年にはTOP14のチャンピオンに導くなど彼のコーチングにおける基盤はフランスで築かれた。

 その後、母国へ戻ると、2016年からスーパーラグビーに参戦したハグアレスのヘッドコーチに就任した。チーム結成からわずか3年でスーパーラグビー決勝へと導く。しかし、パンデミックへの突入と同時にハグアレスは解散してしまい、スタッド・フランセに戻った。そして、2024年のシックスネーションズ開幕を前に、キアラン・クロウリー(現・三重ホンダヒートHC)の後任としてイタリア代表のヘッドコーチに就任する。アルゼンチン出身者が他国の代表チームを率いることは、実は初めてのことだった。

 前例のないチャレンジに向かって、ケサダは何に取り組んだか。

 まず彼が重視したのは、イタリア語だった。フランスでの経験が長かったことから、すでにフランス語と英語を習得していたケサダにとって、母語のスペイン語に加えてイタリア語は4つ目の言語だ。

 イタリアは(ほぼ)自国選手のみのアルゼンチン代表ほどではないが、海外出身者が少なくなってきた。国のアイデンティティを明確に打ち出すことで、チームの再結束を図る。チーム内の公用語をイタリア語に統一することは、その過程における最も重要な手段だった。過去にRugby Passの取材に対しても「これは絶対に必要な変化だと感じていた」とコメントしている。

 その変革に向けて、まずは自身が勉学に励んだ。イタリア代表の活動拠点はトレヴィーゾ、パルマなどイタリアの北部にある。ケサダは同じく北部のミラノ郊外に家族と移住し、語学学習に取り組んだ。空き時間には、書籍やポッドキャスト、音声テープを貪るように取り入れた。代表スタッフの顔ぶれはイングランド、フランスなど多国籍だが、現在はすべての会議がイタリア語で行われているという。
 また興味深いことに、今では試合前後のプレスカンファレンスをケサダはすべてイタリア語で応対している。ケサダはクワドリンガル(4か国語話者)となり、以前には経済学と経営学の学位に加えてメンタルプレパレーション(心理学)のディプロマも取得しているインテリでもある。

 こういった取り組みのもと、チームの再構築に取り組んだ。
 2023年のワールドカップで、イタリア代表は同グループのニュージーランドとフランスに計160点近くもの大敗を喫した(フランス:7-60、ニュージーランド:17-96)。言葉にこそしないものの、チームにはびこる「自分たちは勝てない」という決めつけを払拭する必要があった。彼は契約書に書かれている発効日よりも数か月も前にイタリアへ渡り、選手やスタッフを集めて複数回の合宿でミーティングを重ねた。

今季大会開幕前に撮影の、ミケーレ・ラマロ主将(左)とケサダHC。Federazione Italiana Rugbyの公式Instagramより

「選手にとって、アッズーリでプレーすることが何を意味するのか。これを全員が理解することが最重要課題でした。また、キアラン(クロウリー)と彼のスタッフがこれまで築いてきたものは素晴らしく、それを継続することにも重点を置きました」(Rugby Pass)

 就任当初は、フランスやイングランドのクラブでプレーしていた10人ほどの選手がキャンプに参加できなかったが、交渉の末に合流が実現するとチームの結束は強まった。また、歴代のイタリア代表選手を招くなど、代表の重みと伝統を選手たちに再認識してもらえるように仕掛けた。
 例えばイングランド戦の直前には、ケサダと同じくアルゼンチン出身で、イタリアに帰化した元代表の2人、マルティン・カストロジョヴァンニとディエゴ・ドミンゲスが遠征に参加した。カストロジョヴァンニはアサード(アルゼンチン式バーベキュー)を振る舞い、ドミンゲスはジャージプレゼンテーションのプレゼンターを務めた。

“Culture eats strategy for breakfast” (文化は戦略に勝る)。
 経営学の父、ピーター・ドラッガーが遺した言葉のひとつだ。スポーツチームにも同じことが言える。対イングランド初勝利、そしてシックスネーションズで歴代最高順位に上昇したイタリア代表の根底には、ラグビーの戦術やスタイルの変化以前に、こうしたチームカルチャーの再構築があった。

 イタリア代表は、今年7月4日に秩父宮ラグビー場で日本代表と対戦する。猛暑と湿気のタフなコンディションが予想される中、果たしてケサダはどんなチームに仕上げてくるのだろうか。