日本の弥生時代に追求された理想美

イタリアの美術館ではたくさんの古代彫刻を鑑賞でき、見るたびに見事な写実性と美しさに感嘆させられます。今回はとくに傑作がそろうナポリ国立考古学博物館とヴァティカン美術館、ローマのカピトリーニ美術館の逸品を紹介し、じっくり味わってもらおうと思います。

カピトリーニ美術館からは古代ローマの公共的中心、フォロ・ロマーノを一望できる

そのころ日本はまだ弥生時代でした。古代ローマの人たちの、人間と人体を見る透徹した目と高い美意識、理想を希求する姿勢が彫刻の背後に見てとれます。ただ、こと理想美の追求に関しては、ローマ人はギリシア人の影響を受けていました。ローマ彫刻はギリシア彫刻の模刻が多いのです。

古代ギリシアでは均整のとれた人間のプロポーションに、美の規範が求められました。そして紀元前5世紀から4世紀にかけて、完全な美しさを追求して人間の表現がとても洗練されました。描かれているのは神の場合も多いのですが、神々も人間の姿で表現されたので、「人間の表現」といって差し支えないでしょう。

この時代のギリシア彫刻は、いわゆる古典期からヘレニズム期に該当し、鍛え抜かれた肉体の青年や、輪郭が完璧な男女などが、大理石やブロンズで制作されました。肉づけをふくむ人体構造は、数学的にも正確に割り出されていて驚かされます。ただし、完璧な美を追求して徹底的に理想化された結果、個性は感じられないのですが。

その後、ギリシアは前146年にローマの支配に屈しますが、ローマ人はギリシア美術に魅了され、大量の美術品がローマに運ばれるとともに、ギリシアの古典期やヘレニズム期の彫刻のコピーが数多く制作されました。コピーだから創造性には欠けても、ギリシアの名作を伝えてくれただけで十分でしょう。

一方、ローマでは、偉業を成し遂げた人物を称賛するモニュメントとしての彫刻のほか、肖像彫刻も発達します。皇帝は権力を誇示するために自身の肖像を盛んにつくらせ、貴族や富裕層も自分の肖像を飾ることで、自尊心を満たしました。その際には、理想が追求されたギリシア彫刻と違って、人物の特徴が鋭く描写されました。

1589年に建てられた騎兵隊兵舎に由来するナポリ考古学博物館

ギリシアに由来する完璧なプロポーション

それでは具体的に見ていきましょう。まず、ナポリ考古学博物館ですが、ここの展示品のうちとりわけ傑作といえるのは、ほとんどがギリシア彫刻の模刻です。

「カプアのヴィーナス」はおそらく楯を支えていた

「カプアのヴィーナス」はナポリの北方30キロほどの小都市、カプアの円形闘技場跡で発見されました。紀元前4世紀の彫刻をハドリアヌス帝(在位117~138年)の時代にコピーしたもので、描かれているのは、ギリシア神話で愛と美をつかさどる女神アフロディーテです(ローマ神話のヴィーナス)。繊細で優美な両手で楯を支えていたと考えられています。両腕が欠損しているミロのヴィーナスを復元するとき、参考にされることもあります。

うねりが表現された「カッリピージェのヴィーナス」

もうひとつヴィーナスを紹介します。「カッリピージェのヴィーナス」。ローマのドムス・アウレア(ネロ帝の黄金宮殿)で見つかりました。紀元前3世紀に制作されたブロンズ製の彫刻が、1世紀または2世紀に大理石で模刻されたもので、首を回して水面に映る自分の後ろ姿を眺めていると考えられます。曲線美が強調された動的な表現にヘレニズム期の特徴がよく表れています。時代はずっと下って、ミケランジェロ以降のマニエリスム彫刻、またはバロック彫刻につながる体の動きともいえます。

「ドリュフォロス」(槍をもつ青年)

続いては理想の人体です。「ドリュフォロス」(槍をもつ青年)は、ベスヴィオ火山の噴火で埋まったポンペイのパレストラ(体育練習場)に飾られていたもので、オリジナルはギリシア古典期のブロンズ彫刻家として名高いポリュクレイトスが、紀元前440年ごろに制作したブロンズ像です。前2世紀初頭から1世紀末に大理石でコピーされました。元来は左手で槍を握っていて、青年の身体のプロポーションが理想的に表現されているばかりか、わずかに右を向いた頭部、少しだけ突き出された右脚、曲げた左腕と下に伸ばした右腕のバランスなど、すべてが均衡しています。

八頭身で筋骨隆々の「休息するヘラクレス」

「休息するヘラクレス」(ファルネーゼのヘラクレス)も理想の人体、いや、人体をとおして表された理想の「神体」です。16世紀前半、ローマのファルネーゼ家出身の教皇パウルス3世の時代に、カラカッラ帝の浴場跡で発見されました。オリジナルは、ギリシア古典期の三大彫刻家の一人とされるリュシッポスによるブロンズ像で、3世紀初頭に大理石で模刻されました。筋骨隆々ながら絶妙にバランスのとれた体躯に小さな頭部が載り、棍棒にもたれかかっています。理想の英雄的表現として、16世紀後半以降、繰り返しコピーされました。ちなみに、筋肉組織のディテールなどは模刻者が加えたようです。

何世紀にもわたる美の基準

力強い「暴君誅殺ハルモディウスとアリストゲイトン」

群像も紹介しましょう。「暴君誅殺ハルモディウスとアリストゲイトン」。彫られているのは、アテネの僭主ヒッパルコスを紀元前514年に暗殺した2人の青年です。彼らを讃えるためにペルシア戦争後、アテネ市民がクリティオスとネシオテスに発注し、前477ごろ制作されました。それを2世紀に大理石で模刻したもので、1797年に完全なかたちでポンペイから出土しました。伸びやかで力強い人体表現は見事に均整がとれています。

規模もダイナミズムも比類ない「ファルネーゼの牡牛」

「ファルネーゼの牡牛」は高さ4メートルにもなる群像で、規模もダイナミックな表現も比類ありません。描かれているのは、ギリシア中央部にあった都市テーバオの摂政リュコスの息子、アンフィオンとゼトスが、母アンティオペを虐待したディルケを牡牛につないで虐待している、という場面です。紀元前2世紀半ばごろのロードス派の作品を、200年ごろにコピーしたもので、カラカッラ帝の浴場で発見されました。ヘレニズム時代の盛期の彫刻らしく、人の動きはバロック彫刻のように複雑で、それなのに全体のバランスのとり方が絶妙です。

次にヴァティカン美術館に移ります。ここには、じつに無数というほどの古代彫刻が展示され、教皇権力によって収集されただけに傑作も多いです。

八頭身が美しい「アポクシュオメノス」

「アポクシュオメノス」は「汗と泥をかき落とす男」という意味で、1849年にローマのトラステヴェレ地区で発見されました。前出の「休息するヘラクレス」と同じリュシッポスが紀元前330年ごろ、ブロンズで製作した像を、1世紀に大理石で模刻したものです。前5世紀のポリュクレイトス(「ドリュフォロス」の作者)は、七頭身の人体比例を理想としましたが、リュシッポスはあらたに八頭身を理想として表現しました。頭部が小さな「休息するヘラクレス」も同様です。

人体のプロポーションの手本とされた「ヘルメス」

サンタンジェロ城の近くで発見され、1543年にヴァティカンに運ばれた「ヘルメス」。紀元前4世紀のギリシアのブロンズ像を、ハドリアヌス帝(在位117~138年)の時代に大理石で模刻したもので、左肩にかけられたマントが神々の伝令であることを象徴しています。発見後、微妙に力が抜けたやわらかい姿勢が称賛され、長いあいだ人体のプロポーションの手本とされてきました。

美の基準「ベルヴェデーレのアポロン」

「ベルヴェデーレのアポロン」はとても有名な彫刻です。紀元前330~320年ごろ、レオカレスが製作したと思われるブロンズ像を、2世紀に大理石でコピーしたもので、左手に弓を、右手には矢筒から取り出した矢をもっていたと考えられます。すでに14世紀には存在が知られ、遅くとも1509年にはヴァティカン(ベルヴェデーレ宮殿)にありました。高貴で、純粋で、古代の芸術作品のなかでも最高水準のものと絶賛され、何世紀にもわたって美の基準とされてきました。

ミケランジェロらへの絶大な影響

ミケランジェロが着想を得た「ベルヴェデーレのトルソ」

たくましい胴体部分だけが現存する「ベルヴェデーレのトルソ」。「アテネのアポロニウスの作」という署名があって、紀元前1世紀にアテネで制作されたオリジナルと思われます。ヘラクレス像だという説がありますが、確定していません。教皇クレメンス7世がヴァティカン(ベルヴェデーレ宮殿)に運び、とくにミケランジェロが称賛しました。彼はシスティーナ礼拝堂にフレスコ画を書く際、この彫刻から着想を得ています。

古代の最高傑作のひとつ、ヴァティカン美術館の「ラオコーン」

これも非常に有名な彫刻です。「ラオコーン」。1506年にティトゥス帝の宮殿跡で発見されました。ベスヴィオ火山の噴火で死んだ博物学者の大プリニウスが、宮殿内でこの像を見て、ロードス島の彫刻家ハゲサンドロス、アタノドロス、ボリュドロスの3人が作者であることなどを書き残していて、おかげで「ラオコーン」であることもわかりました。アポロンを祀る神官ラオコーンが、木馬をトロイに入れるのに反対したため、女神アテナから恐ろしい刑罰を受けたときの様子で、2人の息子とともに2匹の蛇に巻きつかれ、もだえ苦しんでいます。オリジナルは紀元前2世紀後半のブロンズ彫刻で、発見されたとき現場にかけつけたミケランジェロが、教皇ユリウス2世に購入を勧めたそうです。実際、ミケランジェロとマニエリスムの芸術家に、計り知れない影響をあたえました。

「チグリス川」も横たえた肢体などから、ミケランジェロがインスピレーションを受けたのが明らかです。ヘレニズム期の彫刻をハドリアヌス帝の時代に模刻したもので、1536年までに教皇パウルス3世がヴァティカンに運びました。発見時には頭部のほか右手や左手も欠損していましたが、ミケランジェロの周辺が補完しました。このため手の形態など、ミケランジェロの作品にそっくりです。

ミケランジェロ周辺が補完した「チグリス川」と「ギリシア人とアマゾン族の戦いを表した石棺」

また、この「チグリス川」の下には、「ギリシア人とアマゾン族の戦いを表した石棺」が置かれています。古代ローマではモニュメントのひとつとして、石棺への彫刻が盛んでした。160~170年ごろに製作されたこの石棺の彫刻も、入り乱れる人や馬がダイナミック、かつ精緻に描かれ、全体として調和がとれています。

肖像彫刻の象徴「プリマポルタのアウグストゥス」

ヴァティカン美術館の最後に、ローマらしい肖像彫刻を紹介します。「プリマポルタのアウグストゥス」。ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの像で、19世紀にプリマポルタという場所にあった妻リヴィアの別荘跡で発見されました。紀元前20年以降に制作されたブロンズによるオフィシャルな像を、アウグストゥスの死後、未亡人のためにコピーしたものと思われます。アウグストゥスの像は数多くつくられ、残っているものも少なくありませんが、これはとくに保存状態がよいものです。古典期のギリシア彫刻の理想美が追求されてはいますが、具体的な個人らしさが加味されているのが、ローマ彫刻ならではです。

キリスト教公認で失われた写実性

世界の三大ヴィーナス「カピトリーノのヴィーナス」

最後にカピトリーニ美術館の作品も少しだけ紹介します。「カピトリーノのヴィーナス」は優美な裸体の神像を得意とした彫刻家プラクシテレスが、紀元前4世紀ごろに制作した像を、2世紀に模刻したもの。ルーブル美術館の「ミロのヴィーナス」、ウッフィーツィ美術館の「メディチのヴィーナス」と並ぶ、古代のヴィーナス像の傑作として、世界的に知られています。右手で胸を、左手で股間を覆う恥じらいのポーズが特徴的で、2023年に東京都美術館で開催された「永遠の都ローマ展」に展示されました。

驚くべきリアリズムの「瀕死のガリア人」

やはり世界でもっとも名高い彫刻のひとつと思われるのが「瀕死のガリア人」です。小アジアのペルガモンのアッタロス1世がガリア人に勝利したことを記念し、紀元前220年ごろに制作されたブロンズ像がオリジナルで、ローマで模刻されました。17世紀初頭にローマのピンチョの丘で発見されたようです。負傷して倒れたガリア人は、瀕死の肢体はもちろんのこと、顔の表情にいたるまで驚くべきリアリズムで表現されています。

古代から残る希少なブロンズの騎馬像「マルクス・アウレリウス帝の騎馬像」

まだまだ紹介したい彫刻はたくさんありますが、キリがないのであと1つとします。「マルクス・アウレリウス帝の騎馬像」です。五賢帝のひとりマルクス・アウレリウスの肖像彫刻で、2世紀に制作されました。鍍金されたブロンズ像で、古代のブロンズ製の騎馬像が現存する例は、ほかにほとんどありません。こうした「異教時代」の像はだいたい中世に溶かされてしまったものですが、これはキリスト教を公認したコンスタンティヌスの像だと信じられていたため、破壊を免れたのです。

ミケランジェロが設計したカンピドーリオ広場。正面がローマ市庁舎、その左右がカピトリーニ美術館(外観は修復中)。中央は「マルクス・アウレリウス帝の騎馬像」の模像

いくつもの彫刻を見てきましたが、いずれも写実性と完璧なプロポーションに驚かされます。ところがキリスト教が公認されて以降、こうした写実表現はヨーロッパから消え、ルネサンスを迎えるまで復活しませんでした。その理由はひと言でいえば、神の被造物たる人間を、神に指示された仕方でしか眺めなくなったから、といえるでしょう。人間を、そして世界を主体的に眺めることの大切さ。古代のすぐれた彫刻たちは、そんなことまで教えてくれます。

香原斗志(かはら・とし):歴史評論家。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。主な執筆分野は古代史から近世史まで幅広く、文化史や日欧交流にも詳しい。近著に『お城の値打ち』(新潮新書)、『教養としての日本の城』(平凡社新書)。ヨーロッパの歴史、音楽、美術、建築にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。欧州文化関係の著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)等、近著に『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(同)がある。

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