大阪城天守閣(大阪市中央区)で、「特別展 戦国人脈 ~交流する武将たち~」が3月25日から開催されます。
旧来の武家による支配の秩序が揺らぎ、新たな勢力が台頭した戦国時代には、身分や立場を越えた横断的なネットワークが各地の実力者を結び付けました。当時の大名・武将たちは自らの生き残りをかけ、様々な人々と交流を持ち、その人脈を活用しました。
本展では、戦国の多彩な交流の様子を伝える資料を通して、東北から九州まで、日本全国の戦国大名・武将たちの人脈に迫ります。展示では、2026年度大河ドラマ「豊臣兄弟!」の登場人物にちなんだも注目作品も数多く登場します。
特別展 戦国人脈 ~交流する武将たち~
会場:大阪城天守閣 3・4階展示室(大阪市中央区大阪城1-1)
会期:2026年3月25日(水)~5月20日(水)
【前期】3/25(水)~4/22(水)
【後期】4/23(木)~5/20(水)
開館時間:9時から18時まで ※入館は閉館の30分前まで
休館日:会期中無休
(※3/23、24、5/21、22は展示替えのため一部展示室を閉鎖)
入館料:大人 1,200円、大学生・高校生 600円(要証明)
※中学生以下・大阪市在住65歳以上の方(要証明)・障がい者手帳等ご持参の方は無料
※本展は大阪城天守閣(「大阪城 豊臣石垣館」を含む)の通常入館料で見学可能
詳細は、大阪城天守閣公式サイトまで。
注目の展示作品を紹介
「聚楽行幸記」
聚楽行幸記 大阪城天守閣蔵
「聚楽行幸記」とは、豊臣秀吉が京都の聚楽第に後陽成天皇を迎えた歴史的な「聚楽行幸」の様子を記録したものです。この古文書では、宴席に参加した人物たちの名前と、彼らが詠んだ和歌がリストアップされています。一覧には秀吉の弟・秀長や徳川家康から鷹司信房ら公家たちの名前も記され、関白・秀吉の治世の下、朝廷の秩序のもとに武家と公家の双方を再編成した新たな貴族社会の到来が象徴されるようです。
聚楽行幸記 部分拡大/よく見ると「権大納言 源家康」「権大納言豊臣秀長」と記されている。家康と秀長が「権大納言」として同格に扱われているのも興味深いところだ
自らの業績を宣伝することを好んだ秀吉は、歌会や舞楽を催したこの空前絶後の儀式を詳細に記録させ、権威を天下に誇示しました。家康らもまた、秀吉の偉大な統治を彩る一役を担わされており、本書は秀吉の高度な政治的パフォーマンスと、公武を合一させた統治手法を今に伝える貴重な史料といえます。
「金銀象嵌南蛮兜(伝 徳川家康より加藤嘉明拝領)」
金銀象嵌南蛮兜(伝 徳川家康より加藤嘉明拝領)大阪城天守閣蔵
本作「金銀象嵌南蛮兜」は、西洋人がかぶる帽子のような形状をした兜で、豊臣恩顧の武将である加藤嘉明かとうよしあきが、徳川家康から拝領したと伝えられています。
表面には漢字や東洋風の竜、星などの模様が金銀の象嵌で施され、側面には竜の文様が透かし彫りにされています。さらに、両脇の「吹返し」にはヨーロッパ産の金唐革が貼られるなど、国際色豊かで非常に手の込んだ高級品です。
所持した加藤嘉明は、羽柴秀吉が柴田勝家を破った「賤ヶ岳の戦い」で目覚ましい功績を挙げ、いわゆる「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられた猛者です。後に水軍を率いて国内の平定戦や朝鮮出兵でも勇名をはせ、秀吉からも厚い信頼を寄せられていました。しかし石田三成ら奉行衆と激しく対立したことで家康に急接近し、関ヶ原の戦いでは徳川方の勝利に大きく貢献しています。
刀 名物「大江」(月山貞利復元)およびその「拵」
刀 名物「大江」(月山貞利復元) 大阪城北ロータリークラブ寄贈 大阪城天守閣蔵
刀 名物「大江」(拵)大阪城北ロータリークラブ寄贈 大阪城天守閣蔵
名物「大江」は、南北朝時代の刀工、郷義弘ごうのよしひろの作とされる刀です。彼の作品の中でも極上の出来栄えであることから「大江」と呼び習わされています。本品は、現代の刀工である月山貞利がっさんさだとし氏(奈良県指定無形文化財保持者)が、平成29年(2017年)に復元したものです。
原品の「大江」は、かつて織田信長から荒木村重に与えられ、村重の没落後に豊臣秀吉の手へと渡りました。しかし、大坂夏の陣の兵火によって焼失してしまいました。ところが、刀剣鑑定のスペシャリストであり、天下人や諸大名が持つ名だたる刀剣に接してきた本阿弥光徳ほんあみこうとくが、「大江」を含む秀吉所持の刀剣の姿や特徴を事前に写し取っていました。その『光徳刀絵図こうとくかたなえず』が残されていたおかげで、400年という時を越えて復元が可能になったのです。
「前田利家画像」
前田利家画像 大阪城天守閣蔵
本作では、戦国武将の雄として知られる前田利家が描かれています。金沢市の個人が所蔵する原画の構図を継承しつつ、金色の鶴を配した黒羽織など豪華な彩色と装飾が施されています。繧繝縁うんげんべりの畳や頭上の帳といった神殿の設えから、本作は、恐らく利家を崇拝の対象とした地元加賀藩ゆかりの寺社が所蔵していたものと推測されます。
利家は織田信長配下で秀吉と同僚でしたが、娘を秀吉の養女に出していたことから豊臣家の一門に準ずる特別な地位を確立しました。豊臣秀長の死後は政権の重鎮として急速に台頭し、秀吉晩年には徳川家康と並ぶ天下のご意見番として存在感を発揮します。本作は、そうした豊臣政権下での独特な権威と、没後に地元で神格化されていった利家の歴史的立ち位置を象徴的に描き出しているようです。
「紫糸威胸取二枚胴具足(伝 細川興元おきもと所用)」
紫糸威胸取二枚胴具足(伝 細川興元所用)大阪城天守閣蔵
本作は、細川興元所用と伝わる具足です。兄・細川忠興ただおきは織田信長や豊臣秀吉に仕え、非常に気性が激しい武将として知られていますが、興元は兄との折り合いが悪く、一時は徳川家康の仲介で和解するまで疎遠になるなど、複雑な兄弟関係にありました。
それを踏まえてこの具足を眺めてみましょう。基本的なつくりを見てみると、忠興が考案した実戦的な「越中具足」のスタイルを踏襲しており、細川家の伝統を反映していることが見てとれます。一方、色使いは兄・忠興の甲冑とは少々異なります。忠興が黒を基調としたストイックな意匠を好んだのに対して、この興元の具足は赤、黄、青といった色彩が鮮やかに散りばめられ、見る者に非常に華美な印象を与えます。つまり、細川家の基本の型を守りつつもその装飾の方向性は兄とは正反対のコンセプトで仕上げられているのです。
ここに、偉大な兄と同じ道を行きながらも明確な差別化を図ろうとした興元の自負や、兄に対する屈折した複雑な心情が読み取れないでしょうか。自らの“分身”でもある武具の意匠を敢えて兄と真逆にした興元。こんなところからも、当時の人間模様や個性が読み取れてしまうのです。
戦国時代という激動のさなか、武将たちが生き残りをかけて築き上げた「人脈」の物語は、現代に生きる私たちにとっても興味深い示唆に富んでいます。上記で紹介した作品以外にも、石田三成と細川忠興の因縁を物語る名刀や、主君を次々と変えながら道を切り開いた本多政重の甲冑など、戦国武将ゆかりの貴重な展示が満載です。戦国ファンはもちろん、大河ドラマ「豊臣兄弟!」をきっかけにこの時代に興味を持った方にも幅広くオススメできる展覧会です。ぜひ、大阪城天守閣の歴史的な空間で、武将たちをめぐる多彩な人間模様を体感してみてはいかがでしょうか。(美術展ナビ)
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