27日、福岡県内では雨が降りましたが、依然、ダムの貯水率は低い状態が続き、水不足は深刻さを増しています。福岡市ではおよそ50年前に渇水で長期的な断水に見舞われましたが、どのような状態だったのでしょうか。

福岡市では過去に2度、渇水で長期的な断水に見舞われました。
このうち1978年5月から翌年3月までの「福岡大渇水」。
水が底をついた福岡市の曲渕ダムでは、当時の進藤一馬福岡市長がお神酒をまいて雨乞いし、祈りをささげました。
ただ、このときは1日の断水時間が最大で19時間となる給水制限が、287日間も続く事態になりました。
市内のデパートでは節水のためトイレが閉鎖されました。
■訪れた人
「困るな。なんとかならんもんかね。」
産婦人科でも産湯が用意できず、看護師が赤ちゃんの体を拭きます。

小学校では、洗わなくて済むようにパンとコーンフレークが並ぶ「食器なし」の給食がスタートしました。
■児童
Q.普通の給食と比べてどう?
「量が少ないけん、いや。」
「(ふだんの)2分の1くらいだもんね。おいしいけど、だいぶ少ない。」
当時およそ2万4000人の学生が在籍していた福岡大学は、臨時休校になりました。
■学生
「仕方ないと思いますね。大学でもトイレや食堂は水が要りますから。」
人工で雨を降らせるための作戦も。
福岡県の要請を受けた自衛隊は、哨戒機に水3トンを積み込み、上空で散水。雲をつくって雨を降らせようとしましたが、深刻な水不足の状況は変わりませんでした。

高台にある福岡市早良区の星の原団地では、突然、断水してしまい、パニックになりました。
給水車が到着すると大勢の住民が、ポリタンクやバケツ、やかんなど水を入れる容器を持ち寄り、長い列を作りました。
■団地の住人
「もう腹が立って、ものも言う気もないの。5階だから。お洗濯もできないもの。」
「こたえますね。もう少し水を上手に配給してもらいたいのですけれど。」
福岡県警からは機動隊も出動して、高齢者などの水運びを手伝いました。

家の中でも工夫が。取材した家庭では貴重な水を節約するため、ボウルに少量の水を入れ、食器を洗っていました。
48年前の渇水を経験した、福岡市の星の原団地の住民に聞きました。
■住民
「(給水車が)来ていた。それを大事に使っていた。嫌なことは思い出したくない。」
「水は出ないし、水は自衛隊が車で持ってきて、私は4階に住んでいたからそれを持って上がるのが大変でした。」
水不足を乗り切るために。蛇口をこまめに閉めるなど、私たち一人ひとりの節水への心がけが大切です。
