【石川県知事選挙2026】馳県政 振り返る(下) 能登半島地震後 復興や宿願 国と連携

2024年2月、能登半島地震の被災地を視察する馳浩知事(左)=七尾市で

 知事選前に馳浩知事の4年間を振り返る後半は、能登半島地震が発生した2024年元日から。同年9月に奥能登豪雨もあり、復旧復興に追われた2年余りとなった。そんな中で国会議員時代からこだわった施策も進めた。 (室木泰彦)

 元日の地震発生時、馳知事は東京都の自宅にいて、北陸新幹線が止まったため首相官邸に行き情報収集。午後6時半から県庁であった災害対策本部員会議はオンラインで参加した。自衛隊ヘリで県庁へ戻ったのは午後11時20分すぎ。翌2日午前7時すぎから、消防防災ヘリで上空から被害状況を確認した。

 長時間県トップが不在だったが、馳知事は当時「すぐに副知事と連携を取り対策本部設置や市町と連携した。影響は全くない」と話した。知事在庁で他に何ができたかは不明だが、防災計画が専門で09年〜23年度に県の災害危機管理アドバイザーを務めた室崎益輝(よしてる)さんは、発生約半年後の取材に「被害の全体像をとらえる想像力に欠けていたことが初動の遅れとなり、結果として救助や物資支援が後手に回った」と指摘した。

 復旧復興が緊急課題で、馳知事はしばらく県庁で寝泊まりしながら対応。国会議員時代の人脈も生かし国と連携を図り、要支援の高齢者らの広域避難先として、いしかわ総合スポーツセンター(金沢市)に1・5次避難所を設けるなど前例のない対応を打ち出した。在宅避難者などに対応できるよう災害救助の種類に「福祉サービスの提供」も加える災害対策基本法と災害救助法の改正も実現した。

 寸断など道路状況が悪く、発生後から被災地へ向かう幹線道路が大渋滞。緊急車両の通行確保のため馳知事らは、不要不急の能登入り自粛を呼び掛けた。これが後々まで災害ボランティアが増えないことにつながったと批判が出た一方、当時の道路状況を考えればやむを得ない呼びかけだったと理解を示す声もあった。

 25年4月、北陸初の公立夜間中学「県立あすなろ中学校」が金沢市で開校。社会の多様性に理解を示す馳知事が国会議員時代から取り組んだ課題だった。22年9月に同市で開かれた夜間中学などをテーマにした集いで、馳知事らと意見交換した元文部科学事務次官の前川喜平氏は「夜間中学は多様性を認め合う教育の場として必要。馳さんは超党派の議員連盟の中心で活動した」と評価した。