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150年以上の歴史を誇り、日本三大中華街のひとつにも数えられる『南京町』(神戸市中央区)。中国人と日本人が入り混じって暮らす「雑居地」として誕生し、時代とともにその姿を変えながら、神戸を代表する観光スポットへ発展していきました。

『老祥記』四代目・曹祐仁さん 『老祥記』四代目・曹祐仁さん

そんな南京町では現在、次代を担う若手店主たちのグループが主導する“新たなまちづくり”の挑戦として、町のシンボルである「あづまや」の修繕プロジェクトが進行中。

若手グループ「你好会(ニーハオ会)」の一員である、『老祥記』の四代目・曹祐仁(そう まさひと)さんに、町が歩んできた歴史や、発展に尽力した先人への思い、未来に向けた取り組みについてお話を伺いました。

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◆開港とともに産声を上げた南京町。雑居地から観光地への歩み

昭和8年頃の南京町の様子 出典:南京町商店街振興組合ホームページ 昭和8年頃の南京町の様子 出典:南京町商店街振興組合ホームページ

南京町の始まりは、1868年(明治元年)の神戸港開港に遡ります。当時、日本と中国(清)は条約を締結しておらず、華僑の人々は「外国人居留地」への居住が許可されなかったため、その外延部に「雑居地」が自然発生的に形成され、「南京町(まち・ちょう)」や「南京街(がい)」と呼ばれるようになりました。

雑居地で暮らす人々は雑貨商や豚肉商、飲食店などを始め、昭和初期には「南京町に行けば何でもある」と評判になるほど興隆を極めたそうです。

その後、神戸大空襲で元町一帯が全焼すると、終戦後はバラックが立ち並ぶ闇市や、GHQの駐留軍兵士が集まる外国人バーが立ち並ぶ裏通りへと変貌。一時期は中国料理店や食料品店が激減したといいます。

神戸有数の観光地に成長した南京町 ©一般財団法人神戸観光局 神戸有数の観光地に成長した南京町 ©一般財団法人神戸観光局

状況が一変したのは1970年代後半。南京町一帯が神戸市の「区画整理事業」の対象になったことを契機に、『南京町商店街振興組合』が発足され、南京町を中華街として復活させるまちづくりの取り組みが始まりました。

80年代に入ると観光地として注目され、1995年の『阪神・淡路大震災』で大きな被害を受けたものの、その時に一部の店舗が点心の店頭販売を行ったことが、現在の「食べ歩き文化」へつながったそうです。

2025年に創業110年を迎えた元祖豚饅屋『老祥記』。現在は本店の建て替え工事が行われており、2026年11月頃完成予定 2025年に創業110年を迎えた元祖豚饅屋『老祥記』。現在は本店の建て替え工事が行われており、2026年11月頃完成予定

曹さんが四代目を務める『老祥記』は、初代・曹 松琪(そう しょうき)氏が1915年(大正4年)に創業した、南京町の“最古参”のひとつ。

町の変遷について曹さんは、「僕が生まれた頃と比較して、建物や景観に大きな変化はありません」と話す傍ら、観光地化される前の南京町は「決して治安のいい場所ではなかった」と、父(三代目)や祖父(二代目)から話を聞いたといいます。

港町ゆえに海外との関わりが深く、当時は夜になると外航船の船員たちがバーやパブにたむろし、「無銭飲食をした船員がお店に逃げ込んでくる」といったトラブルも多かったそうで、曹さんは「先人たちが大変な苦労をして町の基盤を作ってくれたおかげで、今の南京町があります」と話します。

射的場やカプセルトイ専門店などの新業態と、古くからの中国料理店が共存し、観光客に多彩な体験を提供する現在の南京町 射的場やカプセルトイ専門店などの新業態と、古くからの中国料理店が共存し、観光客に多彩な体験を提供する現在の南京町

華僑が移り住むことで始まった南京町ですが、そうした華僑にルーツを持つ方の割合は年々減少し、「今は、2000年代以降に大陸から来た『新華僑』の方や、日本人が新しくお店を始めるケースが多い」とのこと。

業態もさまざまで、射的場などのエンタメ系から、カフェ、スイーツのお店など、若者向けの店舗が増加傾向にあると、曹さんは話します。

曹:「80年代に観光地化を進める中で、中国の色を際立たせましたが、昔から“中華一色”だったわけではありません。今も、公序良俗に反しない限り、どんな業種でも受け入れられています。そんな『なんでもOK』な懐の深さが、横浜や長崎の中華街との違いだと思います」。

雑居地として、日本人と中国人が境界なく入り混じって生活してきた歴史が育んだ「境目をもたない文化」。それが、今も町の気風として息づき、南京町の「らしさ」として受け継がれています。

◆南京町の未来を担う「若手店主たち」の挑戦

南京町のシンボルである、広場の「あづまや」 南京町のシンボルである、広場の「あづまや」

そんな南京町の未来を担う次世代の取り組みとして、2025年夏に30代前半~40代の若手店主たちが主導するグループ「你好会(ニーハオ会)」が結成されました。

「未来の南京町を担う若手が育つ場所」をスローガンに、まちづくり活動に関わるさまざまなプロジェクトを企画するグループで、メンバーは、『老祥記』、『神戸なでしこ屋』(ゲストハウス)、『堂記號』(焼き豚・豚肉店)、『天福茗茶』(お茶屋)、『花梨麻婆飯店』(麻婆豆腐専門店)、『ミズ倶楽部センター』(雑貨屋)、『himomin』(ハンバーガー屋)『Portluck(ポルトラック)』(イベント会社)の店主たち。

発足の経緯について曹さんは、「振興組合のまちづくり活動は、専任の理事やベテランを中心に、規律ある組織として機能しています。その一方で、若手がよりフランクに、自由に発信できる場も必要と考えており、ベテランの皆さんにも背中を押してもらう形で、若手主体のグループを立ち上げました」と語ります。

クラウドファンディングでは、主に屋根の木材部分の腐食対策と補強が行われます クラウドファンディングでは、主に屋根の木材部分の腐食対策と補強が行われます

你好会によるまちづくり活動の第1弾として、2026年1月から始まったのが、広場の「あづまや」の修繕費の支援を募る「クラウドファンディング」。2月末の期限を待たずして目標達成率が100%を突破するなど、多くの人の支援が集まっています。

曹:「今回のクラウドファンディングを行うにあたり、最初は不安もありましたが、複数のメディアにも取り上げていただき、南京町の持つ“ブランド力”は、私たちの想像以上に大きいのだと改めて実感しました」。

「あづまや」の修繕工事は「春節祭」の終了後に始まり、3月中旬に完了。4月上旬頃にお披露目が予定されています。

◆「你好会」の活動が、若手とベテランをつなぐ架け橋に

神戸『南京町』に吹く新しい風。若手店主たちが取り組む、次代の「まちづくり」の形 [画像]

「你好会」の今後の活動の展望について、曹さんは「若手がどれだけ育っていけるかが大事なポイント」だと語ります。

曹:「まちづくりも商売も“人”がやるもの。これまではベテランの方々が一生懸命に町を支えてきてくれましたが、『次世代の担い手がいない』という課題がありました。しかし、今回のプロジェクトを機にチームが組成され、メンバーが町に対して『自分にできること』をコミットする環境が生まれました」。

まちづくりの担い手育成を目標に掲げる你好会。そのために重要なのは「人をどんどん巻き込んでいくこと」だと、曹さんはいいます。

曹:「現在、南京町全体で100以上の店舗が営業しています。若い人の進出が増えている一方で、ベテラン店主の高齢化も進み、『事業承継』の問題も顕在化してきました。承継が上手くいかずにお店を畳むケースや、後継者がいても社内での承継がスムーズに進まないケースなど、さまざまな課題が見受けられます」。

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神戸『南京町』に吹く新しい風。若手店主たちが取り組む、次代の「まちづくり」の形 [画像]

曹さんは事業承継の難しさの一因として、「会社の規模に関わらず、次代の経営者が『先代から直に教えを乞う』ことは、意外なほど少ない」と指摘し、「你好会」のまちづくり活動には、そうした課題を打開し、町をあげた「次世代の育成」につながる可能性を秘めていると考えています。

曹:「若手店主がまちづくりに参加してベテラン経営者との関係が深まると、お店の垣根を超えて経営のアドバイスをする環境が生まれます。それが若手の成長につながり、そこで学んだことをまた次世代へ承継していく—。この『正の循環』が、南京町の持つ強みだと信じています」。

もちろん、そうした関係性は一朝一夕に築けるものではなく、曹さんは「一緒に汗をかくこと」の重要性を説きます。

曹:「汗をかく=まちづくりに参加して、町を良くするために共に行動する。そうすることで初めて、お互いに腹を割って話せる仲間になれるんです。“街のためになにかしたい”という熱を潜在的に持つ人たちは多いと思うので、『你好会』の活動を通して、まちづくりに参加する若手店主を増やしていきたい。それが、南京町の未来を作るためのステップだと思っています」。