2026年2月12日11時12分







大相撲の大関安青錦は17歳のときに来日した。戦時下のウクライナは18歳以上の男性の出国を原則認めていない。でも彼には「日本で力士になる」という夢があった。日本で開催された国際大会で連絡先を交換した関西大相撲部の山中新大さんに協力を求めて単身来日。受け入れ態勢を整えた山中さん宅での居候から成功物語は始まる。今ではよく知られた逸話だ。

初場所で内閣総理大臣杯を受け取る安青錦(2026年1月25日撮影)初場所で内閣総理大臣杯を受け取る安青錦(2026年1月25日撮影)

昨年10月、安青錦に直接聞くと「もし自分が山中さんだったらNOと言ったと思う」と小さく笑った。来日翌年に入門を受け入れた安治川親方がこんな話をした。「初めは会うだけのつもりでしたが、真っすぐな目が印象的で、すごく相撲が好きだというのが伝わってきた。それでウチに来てはどうかということになったんです」。

冒頭にこの話を書いたのには理由がある。ミラノ・コルティナ五輪フィギュアスケート男子ショートプログラム(SP)で、満場の喝采を浴びるウクライナのキリロ・マルサクに、安青錦の姿が重なったからだ。同じ21歳。マルサクは親子の絆を歌った「フォール・オン・ミー」のピアノバラードに乗って優雅に舞い、自己ベストを10点近く更新した。戦場の最前線にいる父親が選んだ曲だった。

男子SPで演技するウクライナのキリロ・マルサク(撮影・前田充)男子SPで演技するウクライナのキリロ・マルサク(撮影・前田充)

ロシア軍の爆撃で自宅も練習場も失った彼もまた、17歳で母国を出た。競技を続けるために、ポーランド、ラトビアと転々として、やっとフィンランドに拠点を見つけた。苦しみを抱えながらも、安青錦と同じように異国の人の愛に支えられて、ようやくたどりついた「平和の祭典」だった。

今も母国では戦争が続いている。アスリートと指導者を合わせて600人以上の尊い命が失われたと報じられている。海外で活躍するアスリートには「兵役逃れ」という批判もある。羨望(せんぼう)は嫉妬にも変わる。それでもマルサクは不条理な人生に立ち向かい、生き抜いて、夢に挑戦している。崇高なことだ思った。「私たちは強い国です。耐え抜きます。決して諦めません」というコメントに、彼が背負った十字架の重さを感じた。

男子SPの演技を終え、喜ぶウクライナのキリロ・マルサク(撮影・前田充)男子SPの演技を終え、喜ぶウクライナのキリロ・マルサク(撮影・前田充)

安青錦やマルサクにとってスポーツは生きる手段ではなく、生きることそのものなのだと思う。そして何より感動するのは彼らに手を差し伸べて、才能の芽を枯れるさせることなく、伸ばしていこうとする人々の人類愛。SPを11位で終えたマルサクは13日(日本時間14日未明)のフリーに臨む。日本人のメダルに期待しつつ、彼の尊い挑戦も瞼(まぶた)にしっかりと焼き付けたい。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)