(徳島城博物館・小川裕久 館長)
「ひな祭りは今でも親しまれている日本の伝統行事ですけども、親が子を想う気持ち、それを人形に託して」
「それが、江戸時代の昔から連綿と受け継がれてきた」
「その人形の変遷、移り変わりを通じて、現在に至るひな祭りの歴史を理解を深めていただきながら」
「ぜひ、日本の伝統文化、人形文化の素晴らしさというものに触れていただけたら」

(宮下アナウンサー)
「こちらの享保雛は、江戸時代中期から後期にかけて作られました。町人が思い描く理想の公家男女の姿を形にしたものです」

(宮下アナウンサー)
「こちらのひな人形は、名古屋雛と呼ばれます。愛知、岐阜などでは江戸時代から節句人形が製作され、京雛や江戸雛とは異なる独自の発展を遂げました」

(宮下アナウンサー)
「この人形は天児(あまがつ)と呼ばれているそうですが、どういった人形でしょうか?」

(徳島城博物館・小川裕久 館長)
「たいへん素朴なスタイルですよね。実は着ているのは子どもの産着、つまりこの人形を枕元に置いて寝ている幼子の災い、病気そういったものを全てを引き受けてくれる、人型としての人形なんです」
「特に、今ここに展示されている天児は、蜂須賀家最後の藩主である蜂須賀茂韶の孫娘にあたる蜂須賀年子さんが用いていた天児なんですね」

(徳島城博物館・小川裕久 館長)
「蜂須賀年子さん、嫁いだ後もこの人形を身近に持って頬ずりしがら抱っこして、『どうかわたしを幸せにして』という願いを、この天児に託したことが書かれている」
「こうした素朴な天児が、その後のひな人形へと通じていくわけなんですね」

(宮下アナウンサー)
「立雛から座り雛になって、ひな人形は巨大化していきました」
「こちらの享保雛は40センチ近くもあるんです。見てくださいこの十二単の袖口、まるでバームクーヘンを切ったみたいです」
「でも、あまりにも大きくて贅沢なので、お殿様から24センチ以上のお雛様は禁止するとの命令も出されたことがありました」
「こちらは有職雛です。お殿様お雛様、着ている着物は当時、公家が来ていた装束そのままにつくられています」