東京国立近代美術館(東京・竹橋)で「下村観山展」が3月17日から開催されます。
本展は、千年の美に挑み、「稀代の天才」と呼ばれた下村観山しもむらかんざんの関東では13年ぶりとなる大回顧展です。観山の傑作150件超により作家の画業を通観するとともに、最新の研究成果も盛り込みながら、日本の近代美術史における観山芸術の意義を改めて検証します。
《木の間の秋》 1907(明治40)年 東京国立近代美術館蔵
下村観山展
会場:東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)
会期:2026年3月17日(火)~5月10日(日)
開館時間:10:00–17:00(金曜・土曜は10:00–20:00)
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(ただし3月30日、5月4日は開館)
観覧料:
一般2,000円/大学生1,200円/高校生700円
※中学生以下、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料
アクセス:東京メトロ東西線「竹橋駅」1b出口より徒歩3分/東京メトロ東西線・半蔵門線・都営新宿線「九段下駅」4番出口より徒歩15分/東京メトロ半蔵門線・都営新宿線・三田線「神保町駅」A1出口より徒歩15分
詳細は、展覧会公式サイトまたは東京国立近代美術館公式サイトまで。
本展をめぐる3つの見どころ
みどころ1:誰もが圧倒される“超絶筆技”を味わう
狩野派、大和絵、琳派、中国絵画そして西洋絵画まで、東西の伝統的な絵画表現を徹底的に学び、自由自在に筆を操った観山。今もなお、その繊細な筆技は他の追随を許さないほどです。
《獅子図屏風》1918年 水野美術館蔵
みどころ2:観山芸術の意義を再検証-作品の意味を読み解き、成り立ちを探る-
よく見ると和洋折衷の不可思議な表現、ミステリアスなモチーフなど、観山の作品には気になる部分がたくさんあることが分かります。そこには技法の他に、その作品を描くことになった経緯(作品の成り立ち)も関係しています。これらをひとつひとつ解きほぐすことで作品の示す意図を明らかにし、それを通じて観山芸術の意義を再検証します。
《竹の子》(絶筆) 1930年 個人蔵
みどころ3:大英博物館蔵、英国留学時の観山作品が初の里帰り
新しい日本の絵画には色彩の研究が必要だと考え、日本画家初の文部省留学生としてイギリスへ留学した観山。現地で親交を深めた小説家で東洋美術研究家のアーサー・モリソンに贈った自作(大英博物館蔵)が初の里帰り!作品からは、海外経験を通じ観山が考えた「日本画のあり方」をも感じられます。
《ディオゲネス》1903-05年頃 大英博物館蔵 © The Trustees of the British Museum
本展での注目作品5点を紹介!
観山芸術の最高峰!重要文化財《弱法師よろぼし》
謡曲「弱法師」を題材に描いた、観山唯一の重要文化財が出品されます。そこには観山芸術の真骨頂ともいえる「卓越した技術×深い教養×高いアレンジ力による“仕掛け”」が詰まっています。
謡曲「弱法師」のあらすじは、以下の通りです。河内国・高安の里の高安通俊は人の讒言(ざんげん) により実の子(俊徳丸しゅんとくまる)を追い出してしまいます。俊徳丸は盲目となり流浪、天王寺(四天王寺)に到ります。折しも梅の花散る春の彼岸の日、父・通俊もまた改心のための施行で天王寺におり、俊徳丸と再会します。
観山の《弱法師》はそのクライマックスシーンを描いています。父とは知らず勧められて日想観じっそうかん(日没を拝み西方浄土を想う瞑想法)を行う俊徳丸は、かつて肉眼で見た美しい難波の浦の景色を、心の目で「見える、見えるぞ」と思い起こします。
《弱法師》1915年 重要文化財 東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives
本作は、日本の伝統絵画に西洋画風の表現を融合させた観山の金字塔的作品です。観山は、日本の伝統絵画由来の装飾的表現として、光に満ちた景色を金地で表し、あらに交差した木の枝を表す線、人物の着衣の線など、随所に「金」を使用。一方で人物には西洋画風の陰影をつけ、梅の幹の描写を合わせることで画面に現実感を与えています。また、画面右隻に描かれた俊徳丸の超微細描写に要注目。絵具のぼかしによる「落ちくぼんだまぶた」、細い墨線による「閉じられた目と長いまつ毛」「おくれ毛」などで、放浪する盲目の俊徳丸の姿を表現しています。
「東洋絵画×西洋絵画」の謎《魚籃ぎょらん観音》
《魚籃観音》1928年 西中山 妙福寺蔵
三十三観音のひとつ、魚籃観音。中国絵画はもちろん日本の伝統的な絵画にも見られる画題です。しかし観山は、観音や両脇の男性らに西洋画的な陰影表現を駆使しました。特に発表当時賛否両論を巻き起こしたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》を思わせる顔立ちの観音です。観山はそれまでにも、東西の絵画技法や図像を広く自分のものとすることで、従来の日本絵画の革新をはかろうとしてきました。そんな彼がなぜ、留学から20年を経た当時、あえてモナ・リザと分かるような顔を描いたのでしょうか。
金の魔術師の矜持!「観山ゴールド」が冴える《不動尊》
《不動尊》1925年 大倉集古館蔵
画面のほとんどが金泥という、卓越した技術なしには描けない衝撃の一作です。色合いの異なる複数種の金を使い、細く描く、広く塗る、ぼかすなど、金の表現の可能性を存分に引き出しています。特に濃い金泥の扱いには修練が必要です。この作品以外にも観山は多くの作品で金(箔や泥)を効果的に多用しています。まさに“金の魔術師”の異名にふさわしい画家なのです。
政財界の重鎮へ、テーラーメイドの一品《毘沙門天 弁財天》
《毘沙門天 弁財天》1911年 徳島県立近代美術館蔵
右隻には題名の《毘沙門天 弁財天》のうち毘沙門天が、左隻には弁財天が描かれています。作品は三菱財閥を率いていた岩崎家から、松方正義の金婚祝いのために依頼されて制作したもの。財福にまつわる二神、金地に毘沙門天の金の甲冑、弁財天のふくよかで色彩豊かな体躯といった表現には金婚の祝賀の意味が込められていると読めます。樹木、藤やヒオウギといった夏草によるおだやかな景色を背に向かい合う二神を、松方夫妻と見ることも可能でしょう(ただしこの二神は夫婦ではありません)。
作品贈呈の意図を汲み、それを構図やモチーフにまで落とし込んだ作品は、まさにテーラーメイドといってよいでしょう。なお制作当時健在だった岡倉天心から琵琶の音が聞こえないと言われ、観山は徹夜で考えた末にヒオウギを描き込んだとも伝えられています。
渋沢栄一からの依頼で描かれた大作《楓》
《楓》1925年 南湖神社蔵 (画像提供:白河市歴史民俗資料館)
院展のような美術展覧会以外に、観山は社寺、宮家、実業家といったさまざまな相手のために作品を作りました。一万円札で知られる渋沢栄一はその代表で、彼や高田早苗といった実業家、学者による「観山会」では、作品頒布だけでなく、作家・会員が集まり清談や古美術鑑賞旅行なども行われました。
白河市の南湖神社に伝わるこの作品は、観山会とは別に渋沢が観山に依頼したもの。栄一は、社会事業への注力の過程で敬意を寄せた松平定信顕彰の一環として、定信を祀る南湖神社(白河市)の創建にも奔走しました。作品は橋本雅邦の次男永邦の《桜図》とともに神社に奉納、実際に拝殿に掲げられ、神社に「一段の光彩」を与えるものとして大いに歓迎されました。
下村観山(1873-1930)プロフィール
観山肖像写真 (画像提供:神奈川立歴史博物館)
日本画家・下村観山(1873-1930)は紀伊徳川家に代々仕えた能楽師の家に生まれ、橋本雅邦に学んだのち、東京美術学校に第一期生として入学。卒業後は同校で教鞭をとるも校長の岡倉天心とともに同校を辞職、日本美術院の設立に参加しました。岡倉の指導、そして1903(明治36)年からの2か年にわたるイギリス留学、欧州巡遊などを糧に、卓越した技術力と深い教養に裏打ちされた発想力によって、横山大観、菱田春草らとともに新時代にふさわしい日本美術の道を切り拓きました。
「橋本雅邦宛 下村観山書簡」 明治36年10月23日付 個人蔵
本展では、代表作である重要文化財《弱法師》をはじめ、各作品に凝縮された「卓越した技術×深い教養×高いアレンジ力」による観山ならではの“仕掛け”を読み解きながら、画家が到達した“千年の美”の表現に迫っていきます。魚籃観音に潜む「モナ・リザ」を思わせる表情や、金泥を尽くした“観山ゴールド”の衝撃、そして渋沢栄一らとのネットワークが生んだ社会と結びつく仕事まで、多面的な観山像が感じられるでしょう。会場では、単眼鏡レンタルも実施予定。観山がこだわった微細な筆技にもぜひ注目してみてはいかがでしょうか。(美術展ナビ)
