2026年2月2日 午前7時30分

 【論説】ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が3月に開かれるのを前に、国内外で野球への関心が高まっている。今年は、日本人と外国人のチームが東京で初めて対戦してから150年。日本人チームには2人の福井出身者の名前があった。文明開化の時代、日本野球史に名前を残した先人たち。その足跡をたどると、現代の日本代表「侍ジャパン」の源流がみえてくる。

 日本人に最初に野球を伝えたのは、米国人教師のホーレス・ウィルソンだった。1872(明治5)年、第一大学区第一番中学(後の東京開成学校、東京大)の学生に教えたのが始まりとされる。

 昨年、米大リーグ・レッドソックスの吉田正尚外野手=福井市出身=がウィルソンの生家を訪問し、親族と交流したことを本紙が報じている。

 76年発行の米国の新聞に、同年日米野球が行われたことが紹介されている。それによると、出場した日本人選手は東京開成学校の生徒たち。外国人チームはウィルソンや外交官ら在留米国人の名前が並んでいる。

 福井市グリフィス記念館職員の北村幸一さんによると、米紙にメンバー表が掲載され、日本人選手のうち4番センターは福井に種痘を伝えた笠原白翁の4男笠原格(いたる)。9番セカンドは、幕末に技術者として活躍した福井藩士佐々木長淳の長男佐々木忠次郎とみられる。

 ともに福井藩が招いた米国人教師W・E・グリフィスに学び、かわいがられた生徒。廃藩に伴いグリフィスに続いて上京し、勉学に励んでいた。外国人チームの1番セカンドは、福井でグリフィスの後任教師となったエドワード・H・マゼット。試合当時は東京の英語学校の教師だった。

 試合は時間の制約があり7回制で行われ、外国人チームが34対11で勝利したが、新聞記事は日本人選手について「ベースボールにとても興味を持ち、動きも素早く、投げるのもうまい」と評している。

 東京開成学校では、グリフィスが帰国までの2年半、教師として勤務した。跡地には「日本野球発祥の地」の記念碑が立っている。当初、日本野球は「楽しみごと」として始まり、後に勝利至上主義や自己鍛錬など精神性が重視されるようになった。

 今日、大リーグでの大谷翔平や山本由伸両選手らの活躍は、優れた技術だけでなく、精神力やチームへの献身など日本野球への評価を高めた。米国の野球評論家は、野球に向き合う国民性の違いがゲームにも反映したと指摘していた。明治時代に、お雇い外国人と「侍ボーイズ」が興じた野球の種は大きく成長した。今年はいったいどんな花を咲かせるのか、注目したい。