康 熙奉

朝鮮半島からやってきた渡来人は、どのような生活をしていたのか。作家の康熙奉さんは「民族ごとに畿内で生活していた渡来人は、朝廷の主導で東国の各地に移住することになった。それ以降、現在に至るまで関東一帯に渡来人の命脈を広げていった」という――。(第2回)


※本稿は、康熙奉『日韓の古代史にはどんな謎があるのか』(星海社新書)の一部を再編集したものです。



1300年前に朝鮮半島からの渡来人が開拓した埼玉の地とは

西武池袋線・高麗駅の広場に降り立てば、そこには異国の風を運ぶような二つの塔が立っている。高さおよそ7メートル。真紅に染め上げられたその姿は、まるで時空を超えてやってきた守護神のようである。


向かって右に立つ塔には「天下大将軍」、左の塔には「地下女将軍」と、それぞれ力強く刻まれ、その頂には人の顔が彫られている。怒りを見せる表情は、魔を威嚇し、悪しきものを寄せつけぬ決意の現れであろう。中でも「地下女将軍」のつり上がった眼差しには、深い覚悟と悲しみの余韻すら感じられる。


そばに立つ案内板には、こう記されていた。


「将軍標(チャンスン)は朝鮮半島に古くから伝わる習俗です。胴に記された『天下』『地下』の文字は目に見える世界から目に見えない世界まで、すべてを守る事をあらわし、村の入り口で魔を威嚇し、その侵入を防ぐことから、人々は魔よけ、災害防除、家内安全を祈願してきました。高麗地域の歴史、文化、観光の活性化を図るために、高麗駅前広場に将軍標を再建しました」


この塔が高麗駅に建てられている理由は明白である。このあたりは、1300年前に朝鮮半島からの渡来人たちが命の拠り所として開拓した土地なのである。


彼岸花の群生地「巾着田」ができた理由

高麗の地は、海抜60~90メートルほどの穏やかな丘陵地帯であり、その曲線的な起伏がもたらす風景は、まるで古代の桃源郷を連想させる。高麗川はその大地を縫うようにくねくねと流れ、その外縁は断崖となって自然の防壁を成していた。そのため、住民は水害のことを心配することなく、安心して暮らせたのではないだろうか。


高麗川が大きく弧を描く場所が巾着田である。まるで大地がそっと握った手のひらのように、川がU字に沿って広がっている。


もともとは川原田という名であったが、上から眺めたその形から、人々は親しみを込めて巾着田と呼ぶようになった。


この地はまた、曼珠沙華の聖地でもある。長さ約600メートル、幅約50メートルにわたって広がる真紅の花々の群れ――その規模は全国屈指であり、秋の彼岸には一面が燃えるような紅に染まり、人々がその光景に引き寄せられて集まってくる。


曼珠沙華は種を持たず、球根で増えるという性質を持つ。おそらく、上流から流れついた球根が大地に根を下ろし、時を重ねてこの神秘的な景観をつくりあげたのであろう。


巾着田に群生する曼珠沙華(彼岸花)
巾着田に群生する曼珠沙華(彼岸花)(写真=京浜にけ/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)