ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.12.08 11:52

1991年3月21日夜、ソウル公害追放運動連合の事務室。テーブルの上には金魚2匹が入ったビーカーが置かれた。ビーカーには工業用廃水許容基準である5ppmのフェノールが混ざっていた。実験開始から20分後、フェノール溶液の中の金魚は動きが鈍くなり、ゆっくりと底に沈んだ。3時間45分後、2匹とも死んで水上に浮いた。当時のチェ・イェヨン公害追放運動連合事務局長(現環境保健市民センター所長)は「当時はフェノールが何かも知らなかった。実際に危険を知らせる方法を探そうとして金魚の実験というアイデアが出てきた」と伝えた。当時、この実験は1週間前の3月14日に洛東江に流れたフェノールという化学物質がどれほど危険であるかを端的に見せた。

史上最悪の環境事故として記録された洛東江フェノール事件。斗山(ドゥサン)電子亀尾(クミ)工場からフェノール原液30トンが破損したパイプから洛東江の支流、玉溪(オクゲ)川に流れた。発がん性有機物質のフェノールは大邱(テグ)地域の取水源を汚染させた。2日後、「水道水から悪臭がする」という市民の苦情が相次いだ。フェノール水道水を飲んだ市民は吐き気、下痢、腹痛などを訴えた。洛東江を飲み水として使用する嶺南(ヨンナム、慶尚道)地域全体に水道水恐怖が伝染した。

当初は単純な事故と伝えられたが、検察の捜査の結果、斗山電子は5カ月間にわたりフェノールが含まれた廃水325トンを無断放流してきた事実が明らかになった。市民の怒りはピークに達した。斗山グループ製品のOBビールに対する不買運動が全国に広がった。朴容昆(パク・ヨンゴン)斗山グループ会長は国民に謝罪して退いた。政府も責任を避けられなかった。事件の処理が十分でないという理由で環境処の長官・次官が同時に更迭された。環境庁から環境処に昇格してわずか4カ月後に発生した前例のない事態だった。

◆「チキン」より検索量多い「粒子状物質」

洛東江フェノール事件は国内環境運動が急成長するトリガーとなった。上水道保護区域指定権限は建設部から環境処に移った。水管理業務一元化の出発点だった。浄水場には高度浄水処理が導入され始め、上下水道施設に大々的な投資が行われた。最高検察庁には環境課が新設され、環境犯罪の取り締まりと処罰も強化された。中央環境紛争調停被害救済委員会の1号事件も洛東江フェノール事件だった。

当時の同委員会事務局長だった沈在坤(シム・ジェゴン)氏は大邱に派遣され、市内のすべての産婦人科を訪れた。フェノール汚染水道水を飲んで自然流産したり、新生児の先天性異常を心配して人工流産したりしたという妊婦の被害事例があったからだ。沈氏は「妊娠中絶術が不法だったため正確な調査が行われず、結局、精神的被害に対する補償だけが認められた」とし「第三者の立場で環境被害者のためにその責任を立証した国内最初の事例だった」と振り返った。

環境運動も転換期を迎えた。環境運動大衆化の開始だった。各種環境キャンペーンとメディアの環境関連報道も大きく増えた。フェノール事件以降、全国的に100を超える環境団体が設立された。国内最大の環境団体に挙げられる環境運動連合も1993年に設立された。当時、大邱で歯科医だった李在庸(イ・ジェヨン)氏は「妻は水からにおいがして子どもに食事をさせることができないと話していた」とし「この事件で水道水の大切さを知った」と語った。大邱市水道水事態市民団体対策会議を率いた李在庸氏は後に盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で環境部長官として入閣した。

2007年12月、泰安(テアン)万里浦(マンリポ)沖でサムスン重工業の海上クレーンと香港船籍のタンカー「ヘーベイ・スピリット号」が衝突した。この事故で原油1万2547キロリットルが流出した。黒い海が泰安半島に広がった。養殖場380カ所、海岸線167キロ、海水浴場15カ所、島嶼24島に大きな被害があった。テレビで油に覆われた海岸を見た市民は動き出した。市民は油を吹いて汚染した砂を除去するなどボランティア活動を始めた。12月の厳しい寒さにもかかわらず、万里浦など泰安地域の海岸に向かう2車線道路は全国から集めるボランティアメンバーの車で埋まった。一日最多で約6万人、5年間で123万人が泰安を訪れて復旧に力を注いだ。その後、海洋環境管理法が改正され、災難対応システムの整備にまでつながった。また、海洋環境汚染問題、企業の社会的責任などに対する国民的な関心も高まった。2022年11月、泰安での事故と克服の過程が反映された各種記録物22万2000件が「世界の記憶」アジア太平洋地域目録に登録された。国際社会は巨大な環境災難事件を克服した象徴的な事例と認定した。

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