被爆80年の今年、新たな決意をした被爆者の男性がいます。

核なき世界を “理想” で終わらせてはいけないと訴えを続けます。

(被爆講話)
「身体を起こしたときにピカっとなった。今まで感じたことのない暑さを感じた」

当時の惨状は80年たった今も鮮明に覚えています。

被爆者の山川 剛さん 89歳。

児童や生徒に向けた被爆体験講話は、年間90回に上ります。

(被爆者 山川 剛さん)
「80年前の出来事が繰り返し起こらない。そういう世の中を作るというのが目的」

節目となる今年、“決意” したことがあります。

(被爆者 山川 剛さん)
「平和な世の中を作り上げるのに役立つ人を育てるのが教育の目的。平和教育の必修化というのを日本と言わず、世界中で取り組むべき。平和教育必修化元年に今年はしたい」

山川さんが被爆したのは、爆心地から4.3キロの長崎市浪の平町。

当時8歳、防空壕の外で泥だんごを作って遊んでいたときのことでした。

(被爆者 山川 剛さん)
「敵機、敵機とどなっている。掌の上には泥饅頭が乗っていた。それを地面に置いた。立ち上がった瞬間に、こっちの方からピカッと。一瞬だが、とにかく猛烈な光が長崎中を埋め尽くした。一瞬」

◆平和教育の原点

24歳で小学校の教師になった山川さん。

1970年、「被爆教師の会」に入会します。

そこで、子どもたちに戦争や原爆についてのアンケートを行ったことが、平和教育の原点となりました。

(被爆者 山川 剛さん)
「『戦争や原爆の話を誰から聞きますか』という設問があった。選択肢の一つとして “先生から” というのがあった。これが一番選ばれなかった。非常にショックで、その時以来、平和について学ぶということを子どもにさせなければ大変だと」

その2年後、「ナガサキの原爆読本」を独自に制作しました。

(被爆者 山川 剛さん)
「子どもの手に持たせるものを作ろうと」

原爆の惨状や被爆後、白血病になって亡くなった先生の話など4冊がセットになっていて、市内の小・中学校に配布し、教材として使われました。