コラム:財政拡張と円安は「日本売り」の予兆か=内田稔氏

 高市総理は11月21日、約21.3兆円の経済対策を打ち出した。一般会計(補正予算)は17.7兆円程度と昨年の同13.9兆円を上回る。内田稔氏のコラム。写真は都内の景色。2021年8月撮影(2025年 ロイター/Marko Djurica)

[東京 27日] – 高市総理は11月21日、約21.3兆円の経済対策を打ち出した。一般会計(補正予算)は17.7兆円程度と昨年の同13.9兆円を上回る。その週の日本の市場では、株式、国債、通貨(円)がそろって下落するトリプル安が観測された。7日に高市総理が基礎的財政収支(プライマリーバランス=PB)を黒字化する財政健全化目標に関し、単年度ではなく数年単位でバランスを確認する方針へ転じたことも相まって、このトリプル安を財政悪化に対する警鐘とみなす報道が目立った。

しかし、株安は米連邦準備理事会(FRB)の12月利下げ観測の後退が招いたグローバルな動きであり、日本固有のものではない。本稿では、財政拡張による長期金利上昇(債券相場の下落)の背景と金利上昇に反して進んだ円安のメカニズムを考察する。結論を言えば、長期金利の上昇には歯止めがかかると考えられるが、円の弱点克服はなお遠いとみられる。

<17年ぶりの長期金利上昇の背景>

日本の長期金利(10年国債利回り)は今月20日に一時1.8%台半ばと17年ぶりの水準まで上昇した。ただ、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)市場のスプレッドに目立った変化はみられておらず、一般税収も過去最高を更新する見込みである。このため、長期金利の上昇(国債相場の下落)は必ずしも日本の財政悪化を見据えた動きではなさそうだ。

ところで、長期金利は期待潜在成長率と期待インフレ率とプレミアムの合計であり、このうちプレミアムの拡大による金利上昇を一般的に「悪い金利上昇」とみなす。市場で観察することのできる期待インフレ率(10年物ブレークイーブン・インフレ率)とプレミアム(10年物タームプレミアム、大和証券調べ)を見ると、最近の円安を受けて期待インフレ率が急上昇したほか、11月に入ってからタームプレミアムが一貫して上昇している。

タームプレミアムは国債発行残高とは正の相関関係を、そして日銀が保有する国債残高とは負の相関関係をそれぞれ有するが、日銀の国債買い入れの減額ペースがここへきて加速したわけでもない。従ってタームプレミアムの拡大は国債発行残高の増加を警戒した動きと考えられる。その点、高市総理は21日、今年度の補正後の国債発行額について、前年度の実績値である42.1兆円を下回るとの見通しを示した。年末に公表される令和8年度の国債発行計画において、それが確認されればタームプレミアムの拡大も次第に落ち着くのではないか。

また、円滑な市中消化には発行年限の構成も重要だ。財務省は27日に開催する主要な市場参加者や投資家との懇談会の意見を踏まえ、適切に対処するだろう。それでも長期金利上昇に歯止めがかからない場合は、日銀の買い入れ減額ペースの減速もあり得よう。高市総理が掲げる「ドーマー定理」の要は、政府の調達コスト(主に長期金利を想定)を名目経済成長率より低く抑えることにある。日銀には慎重な利上げスタンスに加え、長期金利上昇への目配せも政府から強く期待されるだろう。

<財政拡張と通貨の関係、諸外国の事例>

長期金利の上昇に反して円安が続く背景を探る上で、長期金利と通貨の関係および最近財政拡張に動いた海外の金利と通貨の動きを確認しておこう。

まず期待潜在成長率と通貨は正の相関関係にある。期待インフレ率と通貨は理論的には負の相関関係にあるが、実際には両者が同じ方向に動くことも珍しくない。プレミアムと通貨は負の相関関係にある。いわゆる悪い金利上昇と通貨安の関係である。

最近、財政拡張にかじを切ったのはドイツだ。今年3月、ドイツは憲法を改正し、それまでの財政保守主義からの転換を決めた。その後ドイツの長期金利が上昇し、ユーロ高が進んだことは記憶に新しい。

一方、英国では2022年9月、トラス首相(当時)が積極財政を打ち出した途端、長期金利上昇とポンド安に見舞われた。また、今年の4月以降、米国でもトランプ減税恒久化の審議が進む中、一時トリプル安に見舞われるなど、やはり長期金利の上昇とドル安がみられた。結局、英国は首相交代と財政拡張策の撤回により、そして米国は関税収入が財政赤字の拡大分を穴埋めするとの見方により、それぞれ事態が収束した。ドイツとこの英米両国との大きな違いは経常収支である。経常黒字国の財政拡張は金利上昇と通貨高を招く反面、経常赤字国の財政拡張は通貨安をもたらすと整理することができる。

<特殊な日本>

その点、日本は経常黒字国であり、この整理に照らせば財政拡張を受けた長期金利の上昇は円高を招くはずである。そうならない理由として、円高圧力を覆す強力な円安圧力の存在が考えられる。具体的には、名目金利からインフレ率を差し引いた実質金利が、政策金利(短期金利)、長期金利ともに依然マイナス圏にとどまっている点である。実際、今年は海外中銀の相次ぐ利下げによる短期の金利差縮小により、理屈の上では円高が見込まれたがそうはならなかった。

また、資源価格の下落により、貿易赤字が22年に比べて大幅に縮小し、経常黒字も過去最大規模へと拡大しているが、円の名目実効為替レートは23年以降もさらに減価している。加えて、22年以降の数次におよぶ過去最大規模の円買い介入をもってしても、円安基調を覆すには至っていない。実質金利がマイナス圏に位置する限り、円高が定着する展開は見込みにくい。

<実質金利のプラス圏浮上は見通せない>

従って、今後の円相場も引き続き名目金利とインフレ率に左右されそうだ。その点、政府の政策との整合性を強く求められる日銀は、慎重に正常化を進めるとみられる。12月または26年1月に利上げに踏み切った場合も、その次の利上げまで半年程度の期間を空けるだろう。仮に間隔が狭まるとすれば、それはインフレや円安が暴走する場合と考えられる。長期金利についても先述の通り、日銀には上昇を抑える役割が求められる。責任ある積極財政の下、実質金利がマイナス圏にとどまる金融緩和状態が続く公算が大きい。一方、経済対策が需要を喚起するとみられ、インフレ率が名目金利を上回る、すなわち実質金利がマイナス圏にとどまりそうだ。それらの副作用として引き続き円安が進みやすいとみられるが、これに対して政府は積極的な円買い介入で臨むであろう。

<ドル/円下落要因は米国側に>

以上を踏まえると、ドル/円が下落するリスク要因は主に米国側にある。例えば、最高裁が関税を違憲とする判決を下した場合、米国の財政悪化が危惧され、春先のドル安が再燃するおそれがある。次期FRB議長による利下げ期待が高まる場合もドル安に波及しかねない。ただし株式市場がこれを好感すれば、株高とリスク選好が円売りにつながる可能性も十分だ。

その点、大きくドル安が進む最大のリスク要因は、利下げでも止まらないほどの株安と逆資産効果による米経済の急減速シナリオの浮上である。市場がリスク回避的となれば、円ショートも解消を迫られる。金利差による説明力は現在著しく低下しているが、長期の実質金利差に照らせばドル/円が10円以上の値幅を伴って調整する場面も念頭に置く必要はある。

編集:宗えりか

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*内田稔氏は高千穂大学商学部教授、株式会社FDAlco外国為替アナリスト、公益財団法人国際通貨研究所客員研究員、証券アナリストジャーナル編集委員会委員、ダイト株式会社社外取締役監査等委員。慶應義塾大学卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、マーケット業務を歴任。2012年からチーフアナリストを務め、22年4月から高千穂大学商学部准教授、24年4月から現職。J-money誌東京外国為替市場調査では2013年より9年連続個人ランキング1位。国際公認投資アナリスト、日本証券アナリスト協会認定アナリスト、日本テクニカルアナリスト協会認定テクニカルアナリスト。YouTubeチャンネル「内田稔教授のマーケットトーク」では解説動画を毎週更新している。

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