沖縄返還に尽力した、越前市出身の国際政治学者・若泉敬(わかいずみ・けい)の事実上の”遺書”と言える歎願状が21日、沖縄県に寄贈されました。核が再び持ち込まれない沖縄の平和を願った遺書は12月9日から一般公開されます。

■リポート 吉岡弘起記者
「沖縄に命をささげた若泉敬。その遺書は返還の舞台裏を後世に伝え、この沖縄から日本のあるべき姿を訴え続けます」

歎願状の寄贈式は沖縄県公文書館で行われ、越前市の職員から前原正人館長に手渡されました。

■沖縄公文書館 前原正人館長
「若泉氏の人となりを知る上で重要であるのみならず、沖縄が歩んできた沖縄戦や米国統治、日本復帰後の課題を考えるためにも貴重な資料」

1994年に沖縄県民と当時の大田昌秀知事に宛てた歎願状。

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1969年日米首脳会談以来、歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を執り、武士道の精神に則って、国立沖縄戦没者墓苑において自裁します
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この1か月前に、若泉は自らの著書で、沖縄返還と引き換えにアメリカ側に有事の際に再び核の持ち込みを認める密約を明らかにしました。

■大田昌秀 元沖縄県知事(2012年取材)
「若泉先生は結果責任を負って、つまり自分は核兵器を沖縄に残したまま復帰する方が、復帰を早める方が沖縄にとってプラスとなると判断して交渉した。ところが政府はその後、何もしていない」

晩年は遺骨収集にも参加し、沖縄戦の犠牲者に詫び続けた若泉は、その2年後に自ら死を選び、本土復帰から半世紀余りが経った今も、沖縄は基地問題で大きな負担を強いられ続けています。

■沖縄県 玉城デニー知事
「沖縄返還交渉という歴史的な大きな流れの中で、こういうことが事実としてあったんだということ。それに関わった本人が直筆として、歎願状として残してもらったことは、常にその歴史をたどるときに、そこに何が行われたかということが、後世の人たちの思いや研究につながることによって、実際に平和を構築するための取り組みに生かしていけるようになれば、県民も若泉さんが残したことに大きな理解を示してくれる」

戦後80年が経った今。国内では非核三原則の「持ち込ませず」を見直す議論も出ています。核が再び持ち込まれない沖縄を願った若泉の遺書は、12月9日から展示会で限定公開されます。