作品のイメージが大きく更新される

オペラは再現芸術ですから、上演ごとに違うものになるのは当然ですが、「これほど違うのか!」と驚かされることは、そんなにはありません。しかも、演出がない演奏会形式だったにもかかわらず、です。9月13日、東京音楽大学100周年記念ホールで演奏されたリッカルド・ムーティ指揮の《シモン・ボッカネグラ》のことです。

ジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901)の作になるこのオペラは、海洋共和国として栄えた14世紀のジェノヴァが舞台で、実在した総督シモン・ボッカネグラを主人公に、父娘の情愛や権力闘争と和解が感動的に描かれた傑作です。1856年5月にヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演されたときは、あまりウケなかったのですが、24年後、のちにヴェルディ晩年の傑作《オテッロ》と《ファルスタッフ》の台本を手がけることになるアッリーゴ・ボーイト(1842~1918)の協力を得て、大きく手を入れました。

改訂版は1881年3月、ミラノ・スカラ座で初演され、67歳になったヴェルディの円熟の手腕が存分に発揮された結果として、圧倒的な成功を収めています。

このたびのムーティ指揮による演奏は、そのときスカラ座に居合わせた人たちが受けた衝撃が再現されたのではないかと思うくらい、圧倒的でした。異次元という言葉でも言い足りないほどです。私自身、《シモン・ボッカネグラ》はこれまで内外で何十回と観ていて、いつも複雑なドラマが深く掘り下げられた作品だと感じ、心を打たれます。しかし、今回は心の打たれ方が並のレベルではなく、《シモン・ボッカネグラ》という作品のイメージ自体が、大きく更新されるほどでした。

歌手は左からガブリエーレ役のプレッティ、アメーリア役のソボトカ、シモン役のペテアン、フィエスコ役のペルトゥージ  © 増田雄介/東京・春・音楽祭実行委員会

なにが違ったのでしょうか。まず、音楽全体が起伏に富み、とても立体的でした。しかも、一つひとつの起伏が精巧で、そのうえ磨き上げられています。オーケストラと一人ひとりの歌手、それに合唱が、完全にムーティの手の内にあって、見事に一体化し、崇高なドラマを織り上げていくのです。

そしてこの上演は、本番の演奏にいたるまでの過程を、すべて眺めることができたという点においても特別でした。

音楽を作り上げる過程を最初から指導(右端がムーティ) © 飯田耕治/東京・春・音楽祭実行委員会

捻じ曲げられたヴェルディの音楽を正す

この上演は、東京・春・音楽祭実行委員会が主催した「リッカルド・ムーティ イタリア・オペラ・アカデミー in 東京 vol.5」の締めくくりでした。1941年生まれの巨匠ムーティには、音楽のもつ真の価値を再現する方法を若い音楽家に伝授したい、という使命に近い意志があります。ムーティがもっとも敬愛する作曲家は、イタリア・オペラの巨匠ヴェルディですが、そのオペラは長く娯楽作品のようにあつかわれ、本質が歪められている、という強い危機感をムーティは若いころからいだいています。だから、自分が演奏する際はヴェルディの意図に忠実であろうと、腐心してきました。

このアカデミーは、若い指揮者、オーケストラ奏者、そして歌手たちが、楽譜の読み方はもちろん、楽譜の背景にあるヴェルディの意図をどう読むか、言葉をどうあつかうか、諸々を理解したうえで総体としての音楽をどう構築するか、といったところまで、ムーティから直接手ほどきを受けます。そしておもしろいのは、ムーティの指導が重なるごとに、明らかに表現が変化し、音が変わっていくところです。

リハーサルではムーティの指導で明らかに音が変わっていく © 増田雄介/東京・春・音楽祭実行委員会

では、ムーティはどんな指導をするのでしょうか。アカデミーの開幕として、9月2日に開催された「リッカルド・ムーティによる《シモン・ボッカネグラ》作品解説」から、わかりやすい話をひとつ引用します。《アイーダ》にはラダメス役のテノールが歌う「清きアイーダ」というアリアがあり、ほとんどの歌手は終結部の高いB♭をフォルテで猛々しく歌いますが、楽譜ではピアニッシモで消え入るように歌うように指示されています。ラダメスはアイーダのことを思って、うっとりした気持ちで歌うのだから、ヴェルディの指示どおりでないといけないのですが、聴き手はみなフォルテで歌うように求め、ピアニッシモで歌うべきだと主張すると、「ヴェルディが間違っている」といわれてしまう――と。

歌手に歌わせながら作品解説(歌手は左からフィエスコ役の湯浅貴斗と、シモン役の栗原峻希) © 平舘平/東京・春・音楽祭実行委員会

そんなふうに捻じ曲げられ、誤解されているヴェルディの音楽を正さなければいけない、というのがムーティの姿勢です。

若い指揮者(座席側)と歌手(手前)を熱心に指導 © 平舘平/東京・春・音楽祭実行委員会

知識と感覚を総動員するように指導

その後、6日間にわたって朝から晩まで行われたリハーサルの模様を、細かく記述するとキリがありませんが、以下にいくつかだけ書き留めてみます。

アカデミーで学んだ5人の若い指揮者の一人に、「ここはクレッシェンドしないで、ピアニッシモで演奏する。歌手が加わったとき、管弦楽の音が大きすぎて、歌が聴こえないような事態は避けるべき。だから、モーツァルトやシューベルトのように演奏しないと」と説明します。また、次のような指導も。「ヴェルディの時代には金管の音はこんなに大きくなかった。大きさは時代によって違うので、fffと書かれているからといって、バーンと大きく鳴らせばいいというものではない」。

単に楽譜を読むだけでなく、歴史的なことも含めて知識と感覚を総動員し、音楽をつくることをムーティは求めます。それを経て指揮者の姿勢が変わり、オーケストラの音も如実に変わっていきます。

指揮者にとって大きく成長する機会 © 平舘平/東京・春・音楽祭実行委員会

なかには、こんな厳しい話も。「指揮者がイタリア語をわかることではじめて、音楽と言葉が重なる。ところが指揮者の8割はイタリア語が話せず、わけがわからないまま指揮している」。

歌手に対しても、「音楽家として全体に貢献すべき。演奏はすべてつながっているのだから、全員で一緒に音楽をつくる必要がある。歌手が自分のことばかり考え、指揮者やオーケストラが歌手の奴隷になるのは悲劇だ」と釘を刺します。これはイタリア・オペラの現実を踏まえての言葉です。

「作品解説」でムーティの指示に合わせて歌う(アメーリア役の吉田珠代と、ガブリエーレ役の石井基幾) © 平舘平/東京・春・音楽祭実行委員会

そのうえで、「もっとリズムを正確に」「もっとレガートに」「長く伸ばすのも大事だが、ブレスをとることも大事だ」「ヴェルディは演出的な要素まで楽譜に書き込んでいて、そこから自ずとテンポも決まってくる」などと指導が重ねられます。また、一つひとつの言葉の意味を説明したうえで、それはこういう意味なのだから、こう歌わなければダメだ、というダメ出しがなされます。

深化が極限まで達した演奏

こうしたリハーサルののち、まず9月11に「リッカルド・ムーティprezents 若い音楽家による《シモン・ボッカネグラ》」が演奏会形式で上演されました。

オペラ全体を5分割し、5人の若い指揮者で振り分けたのですが、それぞれの個性はあっても、音楽は最初にくらべ、かなり立体的になっています。日本人の歌手も、ガブリエーレ・アドルノ役の石井基幾(テノール)は、それぞれのフレーズが表情豊かになり、持ち味の流麗なレガートがいっそう活きるようになりました。シモン・ボッカネグラ役の栗原峻希(バリトン)も、ヤコポ・フィエスコ役の湯浅貴斗(バス)も、フレーズから感情が聴きとれるようになりました。

若い音楽家による《シモン・ボッカネグラ》(歌手は左からガブリエーレ役の石井基幾、アメーリア役の吉田珠代、シモン役の栗原峻希、フィエスコ役の湯浅貴斗。後ろがパオロ役の北川辰彦、ピエトロ役の片山将司) © 池上直哉/東京・春・音楽祭実行委員会

しかし、この若者たちによる上演とくらべても、いや、くらべればなおさら、ムーティ指揮の《シモン・ボッカネグラ》は異次元でした。若者たちの演奏も、リハーサル初日には想像できなかったほど磨かれ、ドラマとしても深化していましたが、ムーティがみずから指揮すると、深化が極限まで達するようです。

オーケストラと合唱は同じなのに、すべての音が研ぎ澄まされ、かぎりなく意味を帯びたうえで相互に連関し、一体となってドラマを掘り下げます。そして国際的な歌手たちが、ムーティの細かくて実践が困難な要求に見事に応えます(もちろん、外国人歌手たちにも徹底的な指導が行われました)。

ヤコポ・フィエスコ役のミケーレ・ペルトゥージ(バス)は、起伏に富んだ感情をていねいになぞりながら、一瞬たりとも品格を失いません。シモン・ボッカネグラ役のジョルジェ・ペテアン(バリトン)も端正なフォームで管弦楽と一体になり、父親の情愛から総督の威厳までを描き分けます。ガブリエーレ・アドルノ役のピエロ・プレッティ(テノール)は湧き出る声で流麗に歌い上げつつ、細部まで制御が行き届きます。アメーリア役のイヴォノ・ソボトカ(ソプラノ)は歌唱のスケールがこの役に大きすぎる面もあるとはいえ、豊かな倍音を伴った緻密な表現でドラマに貢献します。

左からシモン役のペテアンとフィエスコ役のペルトゥージ © 増田雄介/東京・春・音楽祭実行委員会

感動を抑えきれなくなった場面が、何度あったことでしょうか。2日前に演奏した若い指揮者や歌手たちも、自分たちが大きく成長したうえで、それでもはるかにおよばない異次元の演奏を直接聴き、目標がより明確になったのではないかと思います。

【pre 031
左からガブリエーレ役のプレッティとアメーリア役のソボトカ
© 増田雄介/東京・春・音楽祭実行委員会】

そして、聴衆はこのオペラの底知れぬ魅力に触れたのはもちろん、オペラの、そして音楽の無限の力を知らされ、この芸術の潜在力ともいうべき深みに足をとられ、もう逃げられなくなったのではないでしょうか。

リッカルド・ムーティ、84歳。いまのところ老いはほとんど感じられません。あと10年くらいはこうして、その稀有な才能と知見と経験を、若い演奏家たちに、そして日本の聴き手に伝え続けてもらえないかと願わずにはいられません。

香原斗志(かはら・とし):歴史評論家。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。主な執筆分野は古代史から近世史まで幅広く、文化史や日欧交流にも詳しい。近著に『お城の値打ち』(新潮新書)、『教養としての日本の城』(平凡社新書)。ヨーロッパの歴史、音楽、美術、建築にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。欧州文化関係の著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)等、近著に『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(同)がある。

Share.