公開日時 2025年10月11日 05:00更新日時 2025年10月11日 15:10
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1945年2月23日付沖縄新報
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吉田 健一
石破茂首相が10日に出した戦後80年に関する所感では、「メディア」の戦争責任に触れ、政府が誤った判断をせぬよう歯止めの役割を果たすのが「議会とメディア」だとした。沖縄でも、戦前は新聞が軍国主義の先導役として県民を戦場に駆り立てた。戦意高揚の果てに行われた沖縄戦では、県民の4人に1人が犠牲となった。
戦時体制下にあった沖縄では1940年12月、沖縄朝日新聞、沖縄日報、琉球新報の3紙が統合され、沖縄新報が誕生した。厳しい言論統制の下、沖縄新報は政府や軍の代弁機関として、戦況や軍国調の主張を繰り返し報道した。
1945年2月23日付の沖縄新報
同紙は米軍上陸前の45年2月15日、社説で「県民は軍と一体となって戦ふ、即ちいざとなったら戦ふ力のある県民はすべて戦場にたって戦ひ抜かなければならない時が来て居るのだ」などと主張した。米軍が上陸し首里に迫った5月、沖縄新報は廃刊した。
戦後の沖縄の新聞人は、新聞が戦争に加担した過去を反省し「戦争のために二度とペンを、カメラをとらない、輪転機を回さない」と誓った。沖縄戦の実相を伝え、沖縄を二度と戦場にさせないための報道に取り組んでいる。(吉田健一)
