公開日時 2025年09月07日 05:00更新日時 2025年09月07日 13:29
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日米両軍の南西諸島での戦闘が正式に終了した降伏調印式。着座してテーブルで署名しているのは奄美群島の司令官・高田利貞少将=1945年9月7日、越来村森根(県公文書館所蔵)
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琉球新報朝刊
80年前の1945年9月7日、越来村森根(現在の沖縄市、嘉手納基地内)で南西諸島の日本軍と米軍の代表が出席しての降伏調印式があり、沖縄戦が公式に終結した。しかし、各地の収容所にいた住民は劣悪な環境にさらされ、食糧難による栄養失調やマラリア罹患などで命を落とす人も少なくなかった。米軍による基地建設により土地を奪われ、帰郷が許されない住民も多くおり、県民の苦しみは9月7日以降も続く。
45年3月26日の慶良間諸島への米軍上陸で始まった3カ月余におよぶ沖縄戦は日本軍第32軍の牛島満司令官と長勇参謀長の自決により、同年6月23日、組織的戦闘が終わった。しかし、牛島司令官は自決する直前の6月19日に「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」と各部隊に命令。組織的戦闘が終わっても各地で戦闘は続き、住民を巻き込んだ被害は継続した。抵抗を続ける日本兵による住民虐殺や米兵による女性への性暴力事件も頻発した。
調印式から約半世紀を経た93年、全国の市町村で沖縄市が初めて9月7日を「市民平和の日」に定めた。8月1日から9月7日までが「平和月間」となる。当時、市平和文化振興課長を務めた今郁義(いくよし)さん(78)=第4次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団・副団長=は「市町村ごとに戦争にまつわる異なる日付を持つのが沖縄戦の特徴。6月は慰霊と祈りの月、沖縄市では8月からは平和への行動を起こす時期と位置づけた」と制定に向けて奔走したかつてを振り返る。
(吉田健一、石井恭子)
