被爆80年、“長崎を最後の被爆地” にするために。

スタジオにはゲストをお招きしています。

ジャーナリストの池上 彰さん。

被爆者で、長崎原爆被災者協議会の会長を務める田中 重光さん。

高校生平和大使の津田 凜さんの3人です。

1945年8月9日、原爆が投下され 多くの尊い命が犠牲となった “あの日” から80年。

長崎のまちは鎮魂の祈りに包まれました。

雨の中で迎えた、80年目の朝。

(73歳 被爆2世)
「親族で亡くなった2人は、直撃だった。何の思いを抱くこともなく死んでいったと思う。きっとあの世で悔しがっているだろう」

(79歳 胎内被爆)
「(母は)原爆を受けてケロイドを受けても、103歳まで頑張れたから。私も子や孫たちのためにも、もう少し頑張りたい」

(53歳 高校生平和大使の母)
「私も戦争を知らない世代。でも若い世代に私たちが伝えたのだと思う。子どもたちが次の世代に、世界に、伝えていかないと風化してしまう」

爆心地から北東約500メートルの丘にある 浦上天主堂。

9日は毎年、早朝から追悼のミサを行います。

祈りに包まれたナガサキのまち。

(74歳 被爆2世)
「父が被爆者。まもなく90歳近くになる時に亡くなったが、ここまで長生きしてくれるとは思わなかった」

(78歳 被爆2世)
「もうよみがえってはこない。亡くなった人は。物語ではないけれど、(※原爆の話は)そういうことだったと子どもの時から積み重ねてきた」

長崎市の平和公園で執り行われた「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」。

市は今年、日本に大使館などがあるすべての国と地域に招待状を送付。

去年、招待していなかったロシアやベラルーシ、イスラエルを含む94の国と地域の代表が参列しました。

鈴木市長は平和宣言で、被爆者の故・山口仙二さんの国連での演説を引用。

(山口 仙二さん)
「ノー・モア・ヒロシマ。ノー・モア・ナガサキ。
 ノー・モア・ウォーノー。モア・ヒバクシャ」

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