かつて甲子園に春夏16回出場した福岡の名門、柳川。近年は甲子園から遠ざかる古豪のOB監督を現地に訪ねると、意外な名投手との秘話が飛び出した。〈全2回の2回目/はじめから読む〉

 福岡高校野球界の古豪である柳川高は、2005年夏以来、20年もの間、甲子園から遠ざかっている。母校の再建へ手腕を振るう64歳OBの御所(ごしょ)豊治(とよはる)監督は、現役時代の高2秋、神宮大会で初出場初優勝を果たしながらも、甲子園の土を踏む夢は叶わなかった。

「当時の神宮大会は九州各県の持ち回りで、あの年(1978年)は福岡県の優勝チームが出場できました。ただ、その後に行われた九州大会では、1学年下でエースの中島(輝士)がケガで本来の投球ができず、鹿児島実に1対8、8回コールドで初戦敗退して翌年の選抜に出場することはできませんでした」

 ただ、神宮大会で優勝したことによって、得難い経験を積むことができた。大学の部優勝校の同志社大と同年末に台湾へ遠征し、現地チームと対戦する機会が与えられた。ちょうど同志社大の試合を観戦していた時だ。日本一の大学をシャットアウトした台湾投手に目を奪われた。

「福田精一監督が『おい御所、台湾の投手は今度試合をする相手だぞ』と言うんです。高校生が一人、大学の試合に入って投げよったんです」

 その投手の名は郭泰源。「オリエンタル・エクスプレス」の愛称で知られ、のちに西武で活躍した右腕は、高校生当時で150キロを超える直球を連発していた。その郭を擁する長栄高と後日、交流試合を行った。郭は柳川を相手に投げる予定はなかったが、試合中、福田監督が相手監督に頼み込み、9回の1イニングだけ登板することが決まった。